真勝寺・田中吉政の墓(柳川市)

 

本堂がお墓

豊臣家の臣下として、

三河国(愛知県)10万石の

岡崎城主だった田中吉政は、

関ケ原の戦い後、

石田三成捕縛などの戦功により、

筑後32万石の国主として

柳川城に入り、

多くのインフラ整備を行い、

柳川城下、筑後地方繁栄の

基礎づくりを成し遂げた人です。

その田中吉政の墓が

柳川にあるというので訪問しました。

墓石を覆うようにお寺の本堂が建てられ、

本堂自体がお墓となった形態は、

熊本市の本妙寺にある

加藤清正の墓と

相通じるところを感じます・・・。

(清正公のものは本堂ではなく

浄池廟という名の建物です)

真勝寺

自宅から車で1時間半、

柳川市の真勝寺に到着です。

山門。

石碑。

本堂側から見た山門。

この左手に建つのが、

田中吉政公の顕彰碑です。

顕彰碑。

略歴が書かれています。

一部を抜粋、要約すると

「公は天文十七年近江国

高島郡田中村に生る。

信玄の治水に学び和蘭の技法を摂り

筑後の用水を豊かにし

舟運を便利にし、堤防を造り

洪水対策をし、産業を盛んにして

地域を発展させた。」

このような内容が書かれています。

「信玄の治水に学び」という箇所が

気になって調べてみると、

武田信玄は、素晴らしい

治水工事も手掛けていた事が分かりました。

吉政公は、その実物を

見ていたのでしょうか・・・?。

本堂。

本堂前の灯籠は、

寛政十二年(1800)の寄進です。

向かって左側も同じく寛政十二年。

火袋部分だけは

取替られているようですが、

周囲には立派な石柵まで作って、

大切にされているのが、

嬉しいですね!

案内。

この本堂の下に写真のような

墓碑があります。

お寺が開いていれば

北側の床下から中に入って参拝出来ると

書かれています。

(参拝当日は開いていませんでした)

参拝。

猛烈な逆光で、

なかなか写真が撮れませんが、

天照大神さんにパワーを貰えて、

有り難い限りです。

ここは、お寺だから

神仏習合的に言えば

大日如来さんかな?(笑)

最後にツーショットで〆。

 

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