那国王の教室(奈良屋公民館)後編

 

永遠の思い出

K氏が主催する「那国王の教室」。

僕達はK氏のお話を聞いて楽しむ側、

要するに「お客さん」でしたが、

K氏のご厚意により、

「ふの焼き茶会」で使った

八丁味噌の仕入れ先、

愛知県岡崎市の

カクキュー八丁味噌訪問体験を

参加者の前でお話しをさせて頂く事となり

お客さん側だけでなく

「楽しませる側」としても

那国王の教室を

満喫することができたのです。

話を聞いてくださった参加者の皆様に

楽しんで貰えたか否かは別として(笑)

僕たち夫婦には永遠の思い出として、

心に刻まれております!

プロローグ

お話しする側で唯一困るのは、

客観的な写真が撮れない事(笑)

僕たちはA3サイズのパネルを使い、

お喋りしたのですが、

そんな風景は全く撮れていないのです(泣)

と言うことで、

当日使ったパネルを自宅で全部撮影し、

ここで再現してみる事にしました。

「求道の旅人」。

こんな素敵な表現を使って、

僕たち夫婦を紹介してくれたK氏。

もううれしすぎますよ!

僕たちはK氏に招かれ、

K氏の椅子に座って、

お話をさせていただきました。

参加者の皆様には、言葉足らずとも

「一目瞭然」となるべく

夫婦で楽しみながら作った、

A3パネルの写真&文字。

これを引っ提げ、

いざ、奈良屋公民館へ!(笑)

再現

ここからは、当日お話しした事と、

後日撮影したパネルを順に並べ、

新たな解説も加えながら

当日を再現してみます。

〜〜〜再現開始〜〜〜

FB友人だったK氏が、

僕のブログを見つけてくれ、

9年ぶりの再会をしたのは、

昨年(令和6年)10月、

能古島で行われた那国王の教室でした。

その教室でK氏が自身のスマホ画面を

参加者に見せる場面があったのですが、

その時、僕が注目したのが、

スマホに付いていたお守りです。

そのお守りとは・・

真清田と書いて、

「ますみだ」と言います。

僕は十数年まえに参拝した事があり

お守りが気になっていました・・

何故に、

真清田神社のお守りなのか?

後ほどK氏にメールでお聞きしたとこと

「真清田」は

「シン○○タ」(K氏のお名前)とも読め、

盛り上がっているのですよ!」

とのご返信が。

ならば、来年(令和7年)の神札は、

真清田さんで授与してもらおうと

即座に旅の予約を入れたのです。

こちらがこの一月に参拝した時の

真清田神社です。

そして、

旅の数日前に菓子パンダことP氏より

3年ほど前にアップした

清洲城のブログの中で、

こちらの写真の味噌かつ弁当へ

コメントを貰ったのです!

「天然醸造八丁味噌100%使用」

ここにヒットしたのかも知れません。

P氏のコメントをコピペしてみました。

「中世の茶菓子造る為、

八丁味噌の製造元を調べた所、

地球上に2社(蔵)、

岡崎にしか無いと知り驚きました!

もしかして、

旅人ブログに載っているかもと探したら、

こちらの記事に辿り着き、

そしたら、なんとも美味しそうなお弁当!

しかも安いっ!!

「旅人」と「食べ人」の二刀流とは、

さすがです!!」

今回の旅では、

真清田神社の次に岡崎の大樹寺を

訪問する事にしていたので、

その直前という、

驚くべきタイミングのコメントに、

「これは八丁味噌に行かなきゃ!」

そんな思いがいっぱいになり

K氏にも相談し、

カクキュー八丁味噌の訪問を

決定したのです。

こちらが訪問時に撮影した清洲城で、

犬山城を模した天守ですが、

もちろん信長の時代には、

館的なものしか無かったでしょう。

ということで・・

カクキュー八丁味噌へ。

八丁=八七〇m。

何が870mなのかと言えば・・

岡崎城からの距離が870mなんですね。

そんな場所にあるのが、

カクキュー八丁味噌で、

外観はこんな感じです。

国の登録有形文化財、

大正期に建てられた社屋で、

今も現役で使われています。

ここでは史料館、味噌蔵

見学ツアーに参加しました。

資料館にて。

ふた夏ふた冬の二年をかけて、

ようやく八丁味噌は完成します。

こちらは味噌桶。

大きさの比較に妻と撮っています。

この桶を作る技術を伝承するため、

カクキューさんは毎年、一つ、

新しい桶を作っているとのこと。

伊勢神宮の

式年遷宮みたいなものですね。

味噌蔵へ。

ここで妻が発見したのが

こちらです・・・

「氏真」!

なんで味噌桶運搬車に

今川氏真の名前が付いているんだ?

そう思っていたら、

カクキューの創業者は・・

早川久右衛門といい、

今川氏真の父、今川義元の

家臣だったのです!

そんな久右衛門さんが

武士から味噌職人に

転身したきっかけがこちらです。

桶狭間!

桶狭間の戦いで主君義元が討たれ、

久右衛門さんは武士を辞めて

八丁味噌の職人へ・・・

桶狭間の「桶繋がり」(笑)で、

味噌桶を使う仕事に就いたわけですね!

それでも

何故「氏真」と「早川久右衛門」は

関係するのか?

思い当たる節は・・あります!

それがこちらです。

氏真さんの正室は早川殿といい、

北条氏康の娘なんですね。

ここで「早川繋がり」ができました!

ハートを入れているのは、

波乱万丈の人生でも

子供を5人も作ったのは、

よっぽど仲良しだったはずだからです(笑)

お二人のお墓は・・

東京都杉並区今川の観泉寺にあります。

今川の地名はもちろん

今川氏が住んでいたからでしょう!

こちらが観泉寺の本堂で、

庭園も広く、

手入れも行き届き、

それは立派なお寺です。

こちらが観泉寺の裏手にある

夫婦仲良く並んだお墓です。

そして、後年二人が住んだ

早川の地の名産は・・

早川レモン!

秀吉が小田原攻めの時に建てた

一夜城として有名な

石垣山城の駐車場横にある

パティシエの

トシ・ヨロイヅカがオーナーの

一夜城 Yoroizuka Farmで買った

早川レモンです。

ちなみに早川というのは、

こんな場所です・・

こちらは、

石垣山城から見た小田原の町で、

この麓付近が早川になります。

小田原城も見えていますが、

ちょっとこれでは分かりにくいですね。

小田原攻めでは黒田官兵衛も活躍し、

石垣山城では千利休を中心に

連日、茶会が開かれていたとか・・

そんな中、

桶狭間から30年経った頃の

早川久右衛門さんが、

「ふの焼き」の材料、

八丁味噌を届けたかも知れません!

めちゃ僕の想像とこじつけですが、

遂に、千利休とカクキューが

繋がったのです(笑)

話はカクキューの見学ツアーに戻り、

試食コーナーへ。

ここで食べた八丁味噌の田楽が

美味しくて、その味噌だれを購入。

こちらがその味噌だれです。

これを使った料理の写真も

パネルにしたいな〜っと思った

その数時間後、

まるでテレパシーが通じたかの如く、

P氏から送られて来たのが、

こちらの写真です。

キャンプ飯!

センス抜群の模範的すぎる写真に

僕はもう大興奮!

なんと八丁味噌ラーメンという

スペシャルな技も披露してくれています。

こんな菓子の匠、P氏が精魂込めて作った、

古のお菓子が「ふの焼き」「粉熟」

というわけなんですね!

これで僕のお話はおしまい、

参加者の皆様、K氏、

本当にありがとうございました。

〜〜〜再現終了〜〜〜

エピローグ

那国王の教室の後、

K氏、P氏たちと共に

ちょっと周辺をぶらぶら・・

神屋宗湛邸跡に鎮座する豊国神社。

柱の根元に

真新しい榊が置かれています。

崇敬者の方が、

お手入れされているのでしょうか?

そんな先に見えるのが、

こんな標柱です。

「神屋宗湛屋敷跡」。

今回の教室、

「宗湛日記中の利休を読む」の

ラストに相応しい

このお名前と出会えたのは、

きっと宗湛さんが

僕たち一行を見送ってくれたんっだと

勝手に喜んでいます(笑)

その後、K氏の招待で、

老舗喫茶のシャポーへ行き、

充実した日の終わりを

みんなで共有・・。

そして、

やはり締めくくりはこれでしょう!

真清田神社のお守り。

僕にとっても導きの神様、

開運の神様、

本当に今日という日をありがとう!

 

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