河内王(かわちのおおきみ)の墓(福岡県香春町)
宮内庁陵墓参考地
香春(かわら)町の鏡山には二つの見所があります。
一つは昨日書いた山上に鎮座する神功皇后ゆかりの鏡山大神社、
そしてもう一つは麓にある河内王の墓です。
Wikipediaと現地案内板をミックス要約すると、
河内王は、天武天皇の皇子で、持統3年(689年)太宰師(だざいのそち)に任命され
太宰府に行く途中、このあたりで手持女王(たもちのおおきみ)と出会い
結ばれたのだが、赴任して4年後には亡くなってしまい、この鏡山麓に葬られた。
その時、手持女王が三首の挽歌(死者を悼む詩歌)が万葉集に掲載されていて、
その中の一首に
「大王(おおきみ)の親魄(にきたま)あへや 豊国の鏡山(かがみのやま)を 宮と定むる」
と詠まれていることからここを宮内庁が、河内王の勾金(まがりかね)陵墓参考地と治定した。
以上、ミックス要約終わり(笑)
河内王の墓へ
鏡山大神社の階段下境内入り口の左側にこんな案内が出ています。
天皇や神様たちのお墓は「陵」(みささぎ)と言われますので、
「墓」と書いてあるのは分かりやすくする為でしょうか。
鏡山の麓に沿って歩いていきます。
これは万葉集にある手持女王(たもちのおおきみ)の挽歌3首のうちの一首。
看板のふりがなは「たもちのひめみこ」としていますね。
Wikipedia先生とどっちが正しいのでしょうか?分かりません(笑)
それにしても死後、妻からこれだけ思いを込めたの歌を詠んでもらえた河内王は幸せですよ!
同じ歌の石碑もあります。
宮内庁のお達しです。
はい、陵には入ってないし、魚も鳥も取っていませんし、
竹木も切ってませんのでご安心を(笑)
勾金陵墓参考地は古墳です。
福岡県にある唯一の陵墓参考地ですから大変貴重ですね!
振り返るとのどかで気持ち良い景色が広がっています。
河内王もこの地に葬られて、こんな風景に癒されながら
安らかな時を過ごしているのでしょうね。
これは、このあたりは太宰府への街道だったことの案内版です。
都から太宰府へは玄界灘経由と
この瀬戸内海から豊前、田川を通る、「田河道」があったそうで、
河内王はこの田河道を選んだからこそ
手持女王とも出会えたし、ここに葬られることにもなったのですね。
もし、玄界灘ルートを選んでいたら、全く別の人生になっていたことでしょう。
田河道の石碑。
鏡山地区史跡略地図。
よく見ると、色んな史跡が散在している
歴史好きにはたまらない場所です。
本庄の大楠が見たくて、計画した旅ですが、
その道すがら鏡山大神社を見つけ、参拝し、河内王陵とも出会え、
やはり旅は出会いの宝庫であり、書物やネットだけでは見逃してしまうことにも
たくさん触れることが出来、本当に楽しいものですね!
今日の癒し
この看板に癒されました〜?
いえ、看板の下です(笑)
鏡山、恋人達の聖地になっていましたよ!