名娼明月墓・萬行寺(福岡市)

 

ご縁

福岡市博多区の萬行寺まんぎょうじは、

妻の実家の菩提寺で、

物事に全くこだわらず、

後悔もなく未来への憂いゼロの(笑)

超楽観的な

妻の人格形成の大恩人である

おばあちゃんが眠る場所です。

ここ20年ほど、

正月やお彼岸、お盆など、

季節ごとにお参りしていますが、

基本は行って帰るだけ・・

ところが昨年、

10年ぶりにFB友人だったK氏と再会し、

K氏の主催する「那国王の教室」という

ブラタモリの九州版みたいな、

深掘りかつ、ゆる〜い散策に

参加させて頂いた事で、

福岡には、

驚くほどディープなエピソードや、

遠く離れた中央政権とも

大きな繋がりがあったことを知り、

俄然、

僕の地元に目をむける頻度は激増、

視野も広がり、

この度、めでたくも

萬行寺にある名娼明月墓の発見に

至ったというわけです。

さらに、

このブログを書いている真っ最中、

K氏から櫛田神社のブログに、

「我が家も菩提寺は同じ萬行寺」

こんなコメントが入り、

妻と二人して驚くと共に、

K氏との再会は、

萬行寺さんが結んでくれた

ご縁に違いないね!!

と大興奮しています(笑)

見落としていた案内

萬行寺の山門前には、

ちゃんと案内があったのですが、

長年ずっと見落としていました(汗)

案内の中に、

「遊女明月尼の墓もあり、

墓の中かの亡骸から

白蓮花の花が咲いたという

伝説が残されています。」

このように写真付きで解説され

萬行寺にとっても

特別なお墓ということが、

伝わってきます。

呼び名

明月さんのお墓の呼び方は、

いくつかあります。

「遊女明月尼の墓」(案内)

「明月信尼之墓」(墓のエントランス石碑)

「名娼明月墓」(墓石に刻まれたもの)

どれもが正解でしょうが、

墓石銘に敬意を払い、

ここでは「名娼明月墓」として

書くことにします。

名娼明月墓へお参り

櫛田神社へ初詣後、萬行寺へ。

櫛田神社の南神門と、

萬行寺の中間にある

博多名物「かろのうろん」。

妻とおばあちゃんの思い出が

詰まっている「うろん屋」です(笑)

萬行寺山門。

「普賢山」の扁額。

山門をくぐるとすぐ右側、

鐘楼前に目指すお墓はあります。

人目につかない場所ですが、

お寺の一等地でもありますので、

相当大切に扱われているものと

感じます・・・ね・・

エントランス。

「明月信尼之墓」の石柱と案内。

墓前。

明月さんのお話は、

ネットなどでも詳しく書かれていますが、

その生涯を簡単にまとめてみます。

「備中生まれで、許婚者を追い

筑前に来るが、その男の死を知り

途方に暮れて、入水自殺をはかるも

人買いに助けられ、女郎屋へ売られる。

毎日、死んだ父親が枕元に立ち、

明月の娼妓としての生き様を

叱責され続け、悩んだ末、

萬行寺の和尚に出会い、

全てを打ち明ける・・

その後、毎朝、萬行寺に通い、

本尊に向かい南無阿弥陀仏と唱え、

心の安寧を取り戻したが、

程なくして亡くなり萬行寺に葬られた。

その後、

お墓からは茎が伸び、

白蓮花の花が咲いたという。」

参拝。

墓石の左には、

明月の経歴などが

漢文で刻まれています。

儚い人生であっても、

死して花を咲かせる事もある・・

目に見える花ではなく、

残された人の心の中に咲く花・・

僕は妻の心の中にいつもいる

おばあちゃんを思い出しました・・・

ここにお参りできて、

よかった・・・

本堂。

手水鉢横の「お念仏しなされや」の碑、

来るたびに癒されています・・。

今日の言葉

萬行寺のカレンダーの言葉に注目。

「正直者からは 正直者の光が」

いつも思った事が

そのまま顔と言葉に出る

正直者の妻のことを

言っているのかも?(笑)

 

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