武蔵坊弁慶の墓(岩手県平泉町)

 

点と線

A地点からB地点まで、

点と点を結ぶ車移動は、

大変便利ではあるものの、

途中の偶然な出会いを

すっ飛ばすことにもなります。

その点、徒歩という

「線」移動の旅ができる平泉の町では、

出会いだらけとなりました。

そんな一つが弁慶の墓です。

中尊寺へ

源義経公妻子の墓を参拝後、

引き続き中尊寺を目指します。

金鶏山の西側。

メイン道路に突き当たり、

ここを左に折れると、

いくつかの出会いがありました。

妻が傘を半分開いたような

松の木の芸術的な「雪吊り」を発見。

お店の名前を見ると、

「南部名産 鉄器専門店 弁慶松」。

このように記されています。

岩手県名産の南部鉄器と聞いただけで、

僕たちの東北にいる感はマックスに!

なんかいい出会いだ〜と思いつつ

店前を通過。

実はこの少し後、

「本家の」弁慶松と

遭遇することになるのです・・・

中尊寺簡易郵便局。

お寺っぽい建物、

いいですね〜!

金色堂を模しているのでしょうか?

僕たちにとっては嬉しいおもてなしです。

ポストも仏教色豊かなデザインで、

なかなか渋いですね〜!

ハスの花の「ロゴ」まで入ってますし!

「中尊寺バス停」を通過。

平泉観光マップ。

武蔵坊弁慶の墓

少し行くと、

一本の松の木が見えてきました。

なんか祀られているような・・・

「武蔵坊弁慶之墓」。

お〜ここは弁慶のお墓ですね!

ということは、

これが本物の弁慶松でしょう。

ますは参拝。

左の丸っこいのが墓石でしょう。

また右側の石碑には

「松の・・・」などと

文字が刻んであり、

こちらは建立の由来も案内されています。

「武蔵坊弁慶大墓碑建立由来」。

これを書き出すと、

以下になります。

「文治五年(1189)と義経の

居城高館焼打ちされるや、

弁慶は最後まで主君を守り

遂に表川にて立往生す。

遺骸をこの地に葬り五輪塔をたて、

後世中尊寺の僧、

素鳥の詠んだ石碑が建てられた。

色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊」

お〜ここで、

毛越寺の松尾芭蕉の句碑(副碑)

建てた「素鳥」が登場していますね!

芭蕉の句碑が文化三年

(1806)建立なので、

こちらもそれと同じ時代に

建てられたものと推定できます。

素鳥さんが先人を顕彰し、

こうして形に残してくださったこと、

ありがたい限りです・・・。

お墓の後方から撮影。

弁慶の魂が乗り移ったのか、

なんだか「弁慶の立往生」を

彷彿とさせる松の枝ぶり、

素晴らしいですね!

 

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