小松帯刀(たてわき)の墓(鹿児島県日置市)
呼ばれたのかも?
「鹿児島の旅2018年夏」の
目的地は豊玉姫神社で全て完了し、
帰路についた僕たち。
後は、福岡までの道をひた走るだけ…
そう思っていた矢先、
この旅最大のサプライズが起きました。
運転する僕に、
「こまつたてわきの墓って書いてある!」
突然妻の雄叫びが(笑)
僕は以前その名を
妻から聞いたことはあっても
何をした人かもよく知らなかったので、
「小松帯刀」と頭の中で変換不能でした。
ただ、妻の声からして、
何か凄い人のお墓が
この近くにあるというワクワク感で、
思わずハンドルをそちらに切ったのです。
小松帯刀の墓へ
メインの道路から外れて
走ること5分、
小松帯刀の墓の看板が見えて来ました。
夕陽に照らされた看板。
駐車場や周辺の設備は、
とても良く整備されています。
小屋の中にあった園林寺跡の絵と
小松帯刀のお墓の写真。
周辺の観光案内。
絶景の夕陽スポット
吹上浜も近くにあります。
そして、篤姫もいました!
名札も付いています(笑)
そして、顔出しパネルならぬ
顔無し仁王像も…
廃仏毀釈が特に激しかったという
鹿児島県にはこんな仁王像が
各地にありますが、
ここでの仏像破壊も
凄まじかったのでしょう…
小松帯刀の墓がある
園林寺(おんりんじ)も
廃仏毀釈で廃寺となっています。
この案内は平成20年の設置なので、
当時放映された
大河ドラマ「篤姫」に合わせ
このあたりは整備されたようです。
Wikipediaによると
篤姫の中での小松帯刀は、
薩摩藩の中心人物として描かれていて、
その配役は、今放映中の「西郷どん」で
大久保利通を演じている瑛太でした。
Wikipediaでもう一つ知った事…
瑛太の奥さんって、
木村カエラなんですね(笑)
小松帯刀の業績。
薩摩藩の家老であり、
薩長同盟や大政奉還を
将軍徳川慶喜に進言するなど
明治維新の主な出来事に
多く関わっています。
西郷隆盛、坂本龍馬の有名どころ並び、
維新、陰の立役者とも言えそうです。
そして妻はよく知っていたな〜と
改めて感心。
そして、この案内の左隅に
「この看板の屋根瓦は
日置市特産の日置瓦を
使用しています」
と書いてあります。
へ〜ここも瓦の産地だったんだ〜。
お墓に向かいます。
廃寺っぽい雰囲気です…
僧侶達の墓らしいのですが、
廃仏毀釈で打ち捨てられたものを
並べたみたいですね…
そして、一番奥にある
小松家の墓に到着。
手前が小松帯刀の墓です。
立派な墓にビックリ!
動画でも撮ってしまいました。
病弱だったにも関わらず、
東奔西走し、激務につぐ激務で
明治維新に貢献し、そして、
明治維新後まもなく亡くなった
小松帯刀。
任務を終えたと神様が判断し、
休ませてあげたのでしょうか…
小松帯刀という焼酎が
お墓には置かれていました。
飲んでみたいような…
焼酎は飲めない僕ですが(笑)
昭和天皇からも
大切の思われていたようです。
昭和10年なので、
まだ天皇は現人神(あらひとがみ)と
言われていた時代です。
次に、
横綱 陣幕久五郎が寄進した
灯篭に注目。
以前の立て札と
新しい立て札が並べてあります。
これは新旧の案内が混合している
お墓自体の見取り図も同じです。
Wikipediaで調べると、
陣幕は、薩摩藩のお抱え力士で、
小松帯刀や西郷隆盛らとも
親交があったそうです。
また、東京の富岡八幡宮にある
「横綱力士碑」は陣幕の発起で
建てられ、現在でも、
横綱昇進者はこの碑に出向き
刻印式をやるのですが、
昨年、稀勢の里の刻印式には
3000人も集まったそうです。
この陣幕という方は各地に顕彰碑を
作っていて、
力士としてだけでなく
小松帯刀同様、
日本の国に貢献しているようですね。
そして、こちらが墓所の見取り図です。
僕たちが訪問する数ヶ月前に
建てられた見取り図は、
解説も詳しくて、
それはそれは、
素晴らしいものでした。
こちらは以前からある見取り図。
なかなか見易いものです。
新しいものと古いもの、
比較出来る楽しさをくれた
小松家の墓所でした。
その墓所の左端には、
小松帯刀の第二夫人である
「お琴」さんの墓があります。
この方が産んだ子供が、
帯刀の跡取りになっているので、
やはり大切な方でしょう。
墓石といい、場所といい、
控えめな感じなのは、
やはり正妻でないからでしょうか。
そして、
以前の大河ドラマ「篤姫」で、
そのお琴さんの役だった原田夏希さんが、
ここに参られていました。
9年前なんですね。
演じる方が、その人物の墓に参るのは、
素晴らしいことだと感心します。
原田夏希さんの活躍を願わずには
いられません!
左は小松帯刀の子(お琴さんが産んだ子)、
右は孫の墓。
小松帯刀夫人の父の墓。
お墓でこんなに感動すするのは、
初めてかも知れません。
一族が仲良く同じ墓所にいるのは、
素晴らしいことですね。
立派なお墓を見て、
故人を敬い、祖先を大切にし
未来に繋げる決意を
ひしひしと感じました。
お墓を堪能し(表現がおかしい?)
駐車場に戻る道すがら
散策しました。
園林寺にあったという一字一石塔。
三尊像のうち
両脇の顔は壊されています…
参道には墓石がいくつもあります。
ここも廃寺になったとき、
壊されたのでしょうか。
廃仏毀釈の惨状は
たくさん残っていますね。
僧侶の家族の墓。
砕かれた石像を
なんとか繋いでいます。
頭はないけれど…
これで、墓参は完了です。
幕末、明治維新を駆け抜け、
若くして散った小松帯刀の墓、
本当に色々と考えさせられる
僕にとって忘れられない
お墓となりました。
妻の「名所サーチアンテナ」に
心から感謝です(笑)
これで二日間に渡った
鹿児島の旅はフィナーレを迎え、
あとは家まで帰るだけ。
いや、無事家に着くまでが遠足(旅)
といいますから、
まだフィナーレでは無かったか〜。
あと、5時間ほど安全運転です(汗)