亀岡文殊(大聖寺)(山形県)3

 

即身佛(そくしんぶつ)

参道の終点近くの鐘楼堂の案内で、

「即身佛」という言葉が

使われていました。

調べてみると、

「即身佛」とは、

仏になる厳しい修行をし、

生きながらにして穴に入り、

そのまま死を迎え仏となる事で、

江戸時代まで山形地方では、

この即身佛になる風習があり、

今でもいくつかのお寺に「即身佛」が

安置されているようです。

羅漢さん

文殊堂まで、あと150m位から

いくつもの羅漢さんが出現します。

「羅漢」という存在について、

今年7月に訪問した

石見銀山羅漢寺のパンフレットには、

次のように書かれています。

「世間一般の感情や欲望は

全て超越しているが、

仏、菩薩の境地には未だ到達せず

我々人間と仏との間の存在」

これは実にわかりやすい説明です。

だから羅漢さんは、

仏様とは違い、

様々な形相やポーズ(笑)を

しているんですね。

羅漢さんは参道の左右から

僕たちを優しく見つめています。

燈籠&羅漢さん群。

ちょっとお悩み中?

まだ、

人間と仏の中間ですからね!

右手に馬の尻尾のような

面白いものを持っています。

「袖の下」を要求?

いえ、悟り中でしょう(笑)

犬を連れた羅漢さん。

いや、

熊かも知れません(汗)

難しい本に困り顔の羅漢さん。

分かりやすい表情の羅漢さん、

ほんと癒されますな〜!

羅漢さん・・ではなく

松尾芭蕉句碑。

ここでも親切に案内があるので、

どんな句かわかりますね。

鐘楼堂

文殊堂へ上がる石段の

すぐ右手前に建つのが、

立派な鐘楼堂です。

鐘楼堂と大師堂(左)

鐘楼堂前には、

十六羅漢が安置されています。

「簡潔な案内」

「より詳しい案内」

二つの案内には重複するところと、

それぞれに

「オリジナル」な部分があるので、

二つをミックスして書き出します。

「鐘楼堂

この境内で即身佛となった待定法師が、

諸国を行脚し、

4万1千人余の衆生しゅじょうの浄財喜捨を受け、

享保15年(1730)7月に

この鐘楼堂を、

翌16年6月に観音堂を寄進し、

この地に四十七歳で入定した。

その待定法師の偉業を伝えるお堂で、

堂内には待定坊の尊像が安置されています。

楼上に天正十九年(1591)

伊達政宗が奉納した

永仁四年(1296)鋳造した

資福寺の古鐘があったが破損したので

原型通り鋳造し本坊大門傍にある

鐘楼堂に祀ってある。」

即身佛となるような、

人間を超越した方が遺した建造物が

二つも残っているのですから

それだけでも有り難い限りです。

お堂内部。

右側の大きな仏頭が気になります・・

本尊、待定法師様に参拝。

鐘楼堂背面。

待定法師様目線で参道を望む。

十六羅漢さんも

参拝者を見守っています。

大師堂

次に大師堂へ。

「厄除弘法大師」

赤い頭巾をかぶり、

お地蔵様的な弘法大師像に参拝。

長かった参道の散策も終わり、

このあと、遂に(笑)

文殊堂の参拝へと向かいます。

(続く)

 

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