東林寺(東浦賀)中島三郎助の墓
幕府に忠節を尽くした男
中島三郎助は、
嘉永六年(1853)六月のペリー来航時、
浦賀奉行所の副奉行と称し(実際は与力)
旗艦、サスケハナ号に乗船し、
ペリーと交渉を行った人物で、
その15年後の戊辰戦争では、
徳川慶喜の降伏後も、
引き続き旧幕府に忠節を尽くし、
最後は箱館戦争で、
長男、次男と共に戦死しています。
そんな中島三郎助のお墓が、
東叶神社近くあると知ったのは、
横須賀の旅を計画した頃でした。
前々世が会津藩士で、
「幕府推し」の妻にとって、
ここは絶対外せない場所でしょう!
・・と言うことで、
今回の墓参と相成った次第です。
三浦稲荷社
まずは、お寺の入り口付近から。

左が本参道ですが、
右端の標柱が気になるので、
そちらを巡ることに。

趣のある文字で、
「南無阿弥陀佛」と刻まれています。

「深本、雷電、三浦稲荷社」
以下、案内全文です。
「南無阿弥陀佛と刻まれた
六字念仏塔は祐天寺六世
祐全上人による名号石塔で、
江戸屋半五郎によって建立されました。
名号の彫りも深く、
半五郎の信仰の深さがうかがえます。
半五郎は浦賀で遊郭を営み
繁盛していましたが、
後にすべての財産を処分して
遊女たちに分け与えて解放してやりました。
自らは京都青龍寺で得度し、
生き仏といわれた徳本上人の弟子
深本(深心)となり仏門に帰依しました。
「浦賀事跡考」によれば
東林寺境内の稲荷前では
文化六年(1809)、当時の花形力士の
雷電為右衛門の相撲興行が
行われたと記されています。
三浦稲荷社の稲荷神は倉稲魂で
五穀豊穣、開運出世、商売繁盛の神です。」
江戸屋半五郎さん、
遊郭という場所にいながら、
というか、
いたからこそ、
きっと遠くを眺め、
世を儚んでいたのでしょう・・
また、僕たちが先に参拝した
西叶神社の手水鉢が、
この方の奉納だと紹介されています。

参拝時に撮った写真をよく見ると
左端に「江戸屋半五郎」と
刻まれていますね!
また、
雷電為右衛門の相撲興行についても
浦賀駅前の歴史絵で紹介されていました。

こちらがその歴史絵で、
文化六年に東林寺境内で
相撲興行があった旨の
説明も書かれています。

稲荷社に参拝。
本堂
そして本堂へと向かいます。

美しい石段。

延命地蔵に参拝。

もうすぐ頂上。

本堂前へのエントランス。

梅の花がお出迎え。

本堂手前、水溜の前に注目!

まさか、仁王様が、
ここにいらっしゃるとは!
ちっちゃいながらも
迫力満点の仁王像です。

阿形の仁王像様は、
ちょっと隠れ気味に
鎮座されておられます(笑)

本堂正面の忠魂碑に参拝。
中島三郎助の墓
墓域に入っても
目指すお墓を見つけられず
うろうろしていたら
突然妻の雄叫びが!

「あった〜!!」
さすが、
墓参りのプロだけあって、
お墓アンテナが敏感に察知したようです。
その時僕がみていたものは・・・

墓域の壁に掘られた錨マークです(笑)

中島三郎助の墓は、
一族の墓の右手前になります。

参拝。
ペリーとの交渉では矢面に立ち、
幕府の終焉とともに
自身も最後を迎えた中島三郎助、
歴史を紡いでくれて、
本当にありがとう!

参拝後、お墓を守ってくださる
六地蔵にお参りして、
桃林寺を後に。