筑波海軍航空隊記念館・概略

下見?
「計画は悲観的に、実戦は楽観的に」
こんな言葉を聞いた事がありますが、
僕の場合はその真逆、
「計画は楽観的に、実戦はその時次第」
という事で、
計画は1時間、
実戦は30分の滞在中、
筑波海軍航空隊記念館の何たるかを
舐める程度の体験は出来ました(笑)
なので、
次回は大いに深掘りする予定です。
何だか、
エンディングみたいな書き出しですが、
これは僕がここを訪問した
正直な感想で、
見所は無尽蔵にあるのです!
まあ、今回が「下見」だとすれば、
かなり中身は濃かったかな?
なんて、
強がりでも言っておきましょう(笑)
パンフレット
まずはパンフレットから。
館内の見所は展示館と、
旧司令部庁舎の二つで、
ここをじっくり体験するならば、
2時間はかかると思います。
いや、もしかすると
3時間以上かも知れません(笑)
マップ。
記念館の外構は、
見所しかないと言うほど、
戦争遺跡の宝庫です。
僕たちは最初道に迷って、
マップの真ん中下にある
「地下戦闘指揮所」近くに着いてしまい、
その後、
目的の駐車場に向かったのですが、
妻も「ここ行ってみたい」なんて言うし
公開日が限定されている
地下戦闘指揮所には、
後日「本番」として(笑)
行くしかないでしょう・・
道に迷ったのも
御英霊の導きかも知れませんし!
号令台
館内に入る前に
戦時中まで実際に使われていた
号令台へと向かいます。
号令台は旧司令部庁舎の
斜め前にあります。
戦争の匂いしかしません・・
この号令台の訓示を聞いていた
飛行隊員たちの多くは、
戦死されたのでしょう・・・
案内。
「隊員たちが訓練などで使用した
グランドの中央に位置した号令台。
当時は台の上部に
落下防止の柵が付いていました。
訓練や集会、行進等の際、
台の上から指示が発せられました。
後部にドアが付いており
中に入れる構造になっています。
地下戦闘指揮所に
つながっているという伝承があり、
地下通路(地下下水道)へ繋がる
マンホールなどが
近隣にあったのかもしれません。」
なんか真田幸村終焉の地から
大阪城までの地下通路があった
伝説を想起させてくれますね!
僕たちが迷って近くまで行った
地下戦闘指揮所は、
ここからかなり遠いので、
トンネルがあれば、
相当に長かったはずです。
爆撃に耐えられるようになのか、
頑丈に造られています。
中を覗いてみると
反対側のドアが見えています。
かえり雲
次に号令台の傍に建つ
モニュメントへ。
題名は「かえり雲」。
「彫刻「かえり雲 流政之作」
「世界的彫刻家として知られる流政之さん
(2018年7月7日95歳で死去)は、
海軍予備士官として
筑波海軍航空隊に在籍し、
資料の焼却など、
隊の終戦処理を見届けました。
同期の多くを特攻で亡くした経験が、
流さんの作品に
大きな影響を与えたと語られ、
911テロで崩壊した
ニューヨーク世界貿易センタービル前の
自作品のモニュメントが
救助活動時に撤去されたという経験も経て、
流さんの強い寄贈の希望により、
平和への願いを込めて、
2013年11月23日、
設置の除幕式が行われました。」
正直、彫刻などに疎いので、
モニュメント自体については
分かりませんが、
ここ筑波海軍航空隊出身の方が
心を込めて制作され、
それを寄贈された事は、
お亡くなりになった
御英霊たちへの最大の慰霊と
なっているはずです・・
筑波海軍航空隊記念館
野外の散策を終え館内へ。
旧司令部庁舎。
この右側の建物が記念館です。
旧司令部庁舎の玄関を過ぎ、記念館へ。
親切な案内で迷う事はありません。
お邪魔しま〜す!
JAFの会員証を見せると
こんなシールが貰えます。
前世が特攻隊だった(笑)妻は、
これにテンション爆上がり!
今では妻の手作りスマホスタンドで
大活躍しています(笑)
最初にビデオ鑑賞・・
なのですが、
時間が無いのでほぼ割愛(汗)
零戦の残骸など。
記念館の見学はここまで(早っ!)
次はお隣、旧司令部庁舎と向かいます。
(続く)