筑波海軍航空隊記念館・零戦二一型

 

設計思想

第二次世界大戦時、

日本海軍機とアメリカ軍機の

軍用機製作における設計思想は、

ほぼ真逆だったと感じています。

日本海軍機は、脆弱な防弾など短所を

個人の技量と精神力で補う事。

(一部例外もあり)

簡単に言えば、敵弾に当たらない事が、

生還の絶対条件です。

海軍機に限定したのは、

日本陸軍機は防弾の必要性に

大戦前から目覚め、

零戦と同時期の一式戦、隼には

防弾設備があったからです。

対してアメリカは、

個人の技量だけに依存せず、

乗りこなしやすく(機種によるが)

かつ機体が頑丈であり、

ある程度被弾しても、

生還できる要素が多い事です。

結果を見ればどちらが正解だったかは、

明らかですね・・・

ベテラン揃いだった

戦争初期の日本軍機は、

大きな戦果を上げたものの、

連日の出撃で搭乗員の消耗は激しく、

あっという間に形勢は逆転、

日本も戦争中期以降、防弾性などを

改め始めたものの、

パイロットの養成もままならず、

時すでに遅し、

後は歴史が示した通りです・・・

零式艦上戦闘機二一型

ここ地下戦闘指揮所の前には、

戦争初期に活躍し、

終戦まで使用された零戦二一型の

実物大レプリカが展示してあります。

地下戦闘指揮所出口から見た零戦。

零戦の横には大きなフロートが

安置されています。

「海軍・モーリス・ファルマン水上機

(上・輸入機/下・国産機)

輸入機は1912年型で、1914年9月、

第一次世界大戦に参戦して

中国山東省青島の

ドイツ軍攻撃に使用された。

国産機の一部は輸入機の

ルノー70HPエンジンを、

カーチス0型75HPエンジンに

積替えており、

展示品は国産型のプロペラと推定される。

現在、国内に国産機のプロペラ、

フロート、主尾翼間ブーム

4本中3本が残る。」

70馬力や75馬力とは、

零戦二一型の940馬力が、

天文学的数値に見えますね(笑)

零戦二一型左前から。

真横から。

この映画の為に作られたそうです。

以下、案内です。

「茨城県は映画・ドラマなどの

ロケ誘致が盛んですが、

その中でも笠間市にある

筑波海軍航空隊記念館は、

県内随一のロケ誘致数の実績を持ちます。

映画では多くの大道具なども

製作されていますが、

このゼロ戦は大型の美術製作で

業界内では有名な大澤製作所さんが、

映画「連合艦隊司令長官

山本五十六ー太平洋戦争70年目の真実ー」

(2011年 監督/成島出・

主演/役所広司)の為に製造しました。

この機体の設定上の塗装が、

筑波海軍航空隊に

歴史的に所縁が深いことから、

これまで展示されていた

青森県立三沢航空科学館より

譲渡を受け展示しています。」

「なぜプロペラに弾丸がぶつからないのか」

説明を超簡単にまとめると

「プロペラの隙間を縫って

弾丸が発射されるように

同期装置が付いていたから」です。

案内によれば、

一秒に26.25回転するプロペラの中に

弾丸を発射して、その一秒で、

左右の機銃から弾丸が20発撃てると

書かれています。

凄い技術ですが、

成熟するまでの同期装置では、

事故もあった様です。

余談ですが、

戦争で飛行機が初登場した

第一次世界大戦時の初期には、

同期装置など無く、

プロペラの手前から弾丸を発射し、

プロペラがボロボロになりながらも

戦った機体も多々あったようで、

それを思えば、

同期装置は夢のようですね。

正面から。

ここからだと

モーリス・ファルマン水上機の

フロートも全体像がよく分かります。

模擬操縦桿

零戦の横には、

筑波海軍航空隊記念館ならではの

「おもてなし」スポットがあります。

可動式の模擬操縦桿ですよ!

こんなに大人がワクワクする仕掛け、

いったい誰が考えたのでしょう?

妻、機体を一気に急上昇へ!

かなりのGがかかっている模様(笑)

(続く)

 

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