2020/03/16

筑紫神社(福岡県筑紫野市)後編

 

運命

ベートーベンではありません(笑)

一般的な運命についてのお話です。

筑紫神社は前編で書きましたように

延喜式の式内社で、それはそれは

古い歴史を持つ素晴らしい神社です。

そんな筑紫神社の歴史の中で、

運命に翻弄されながらも

生きながらえたもの

翻弄されて無くなったもの、

この二つに出逢うことが出来ました。

こんな体験をするたびに

思い出すことわざがあります。

「人間万事塞翁が馬」。

冒頭は「にんげん」ではなく

「じんかん」

と読むのが正しいそうですが、

確かに人の間の出来事という

意味からしたら「じんかん」で

いいのかも知れません。

意味としては、

運命がどこで好転するか

または暗転するかは

一つの出来事だけでは、

全く分からないということです。

森と境内社の散策

筑紫神社の周囲は

森に囲まれています。

拝殿と社務所の裏にもクスノキなど

多くの木々があります。

本殿の裏側。

老木でしょうか?

なんか言いたげな雰囲気です。

社務所の裏側。

ここには何本もの

背が高いスラッとした

クスノキがあります。

念のため大きさの比較に

白い服の妻とツーショット(笑)

この後、拝殿前に戻ります。

神馬。

初代、大正生まれの神馬像は

太平洋戦争の戦時供出で

溶かされてしまったようです。

しかし、戦時供出というのも

運の善し悪しがあり、

供出されてもそのまま残ったもの

供出自体を免れたものなど

その運命は様々です。

最近知ったのですが、

敵国だったアメリカでも

戦時供出はあったそうで、

アメリカには資源が、

潤沢にあると思っていたのに

意外と必死だったんですね、

アメリカさんも(笑)

絵馬堂。

とても気になる写真を発見しました。

説明によると、

この梵鐘は、今から650年ほど昔、

南北朝時代の1384年に鋳造され、

この筑紫神社に奉納されたものです。

それが、1498年には山口のお寺へ、

その後、岡山市の仏心寺へ移され、

そして明治20年(1887年)から

現在までは、瀬戸内市の慈眼院にあります。

2005年、その慈眼院を訪問した時の

写真も飾ってありました。

そういえば、この梵鐘、

この神社に無かったからこそ

戦時供出されなかった、

幸運の鐘なんですね(笑)

う〜んやっぱり

人間万事塞翁が馬かも。

次に最大の境内社、

五所神社に向かいます。

スサノオとクシナダ姫の夫婦神、

菅原道真公などが祀ってあります。

神門のすぐ横からが入口です。

神額には須賀神社の文字。

須賀神社は基本、

スサノオを祀っている神社です。

手水鉢。

上部周囲には、

盃状穴(はいじょうけつ)が、

彫ってあります。

盃状穴は子孫繁栄とか子宝祈願などの

思想から生まれたもので、

江戸時代まではよく手水舎などに

彫られていました。

そして、参道の左右には、

こんな石製のものがあります。

萬延元年(1860年)の寄進。

1860年と言えば、

徳川家康の側近で、

徳川四天王の一人、

井伊直政の子孫である

彦根城主で幕府大老の

井伊直弼が暗殺された

桜田門外の変が起きた年です。

これは何の為のものでしょうか?

花を生ける?

幟を建てる?

う〜んわからないままです。

本殿。

参拝。

拝殿の内部。

三柱の神様の御部屋が、

それぞれにあるようです。

最後に参道脇の境内社へ。

稲荷大明神。

参拝。

稲荷社の右横にはずらっと

石柱が並んでいて、

その多くは、こちらの神様です。

やはり多いな〜

猿田彦さん(笑)

これで筑紫神社の参拝は

全て完了しました。

今日の空

筑紫神社上空は、

航空路にもなっています。

見上げた先には鶴丸マークのJAL機が。

乗るのは苦手な飛行機ですが、

飛んでいるのを見るのは

楽しいものですね(笑)

 

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