宇土古城(熊本県宇土市)
期待を上回る感動
中世に築城されたという
「宇土古城」への訪問は、
桃山時代、小西行長が造り、
その後加藤清正が改修した
「宇土城」散策の「ついで」的に
考えいた僕ですが、
実際に行ってみると、
その遺構は綺麗に整備され、
案内も随所に設置されるなど、
至れり尽くせりのおもてなしに
思わず感動してしまいました。
宇土古城、侮るなかれです(笑)
千畳敷
宇土城を散策した僕たちは、
宇土古城を目指します。
二つの城の距離は約600m。
ここでは、中世宇土城跡、
近世宇土城跡と案内されています。
案内板付近から見た、
宇土古城の高台。
田園地帯が広がり、
昔の面影が残っているのが、嬉しいですね。
ほどなくして、お城の駐車場に到着。
ここから見える小高い山が、
近世宇土城です。
案内地図。
宇土城跡案内図。
この中の千畳敷という山の頂上が、
本丸にあたります。
千畳敷への虎口ですが、
千畳敷へ行く前に、
右回りで堀を一周してみます。
堀跡がわかり易く再現(保存?)
されているのは、素晴らしいですね。
これを見た妻が雄叫びを(笑)
「山中城の障子堀みたい!」
お~確かに見た目が障子堀ですね!
しかし・・・
その予想は違っていました。
案内には、
「未完成の堀跡」と記され、
次のような説明があります。
「千畳敷北側の堀底は、
ご覧のようにデコボコしています。
これは、「小間割」と呼ばれる
工区分けの跡、もしくは掘の掘削行程の
一過程を示しており、
工事が途中で中止されたために
残ったと考えらます。」
「中世城跡では全国初となる未完成の
堀跡の確認であり、
当時の土木工事の
手順や方法を知る上で重要です。」
これは障子堀以上に凄いものですよ!
宇土古城、只者ではありません(笑)
さらに行くと
昔っぽい雰囲気の
素朴な木橋があります。
四分の三周ほどの場所。
もうすぐ虎口です。
「堀に投げ込まれた大量の石塔」の案内。
「千畳敷の虎口付近の発掘調査で、
五輪塔や宝篋印塔などの石塔(墓石)が
内堀跡から大量に出土しました。
出土状況から意図的に
投げ込まれたものと推定され、
石塔の投棄による「城破り」(しろわり)
(城の生命を断ち切る儀礼や儀式)を示す
具体的な事例として注目されています。」
このように書かれています。
ここ(虎口)から千畳敷へ。
門も再現されて、
雰囲気造りも素敵ですね。
後世の枡形とまではいきませんが、
敵を攻撃しやすいように
虎口には急カーブが作られています。
千畳敷。
建物の遺構。
虎口付近の建物跡。
ここは16号建物跡と名付けられ、
発掘調査時の平面図もあります。
16号建物跡から見た千畳敷。
虎口でツーショット完了。
なかなか見応えある宇土城でした。
・・・と散策完了のように書きましたが、
実はこの後、
近くの西岡神宮に参拝した時、
もう一つ宇土古城の見所を発見したのです。
宇土古城・西岡神宮北側
千畳敷を散策した僕たちは、
次なる目的地、西岡神宮へと向かい
境内を歩いている時に、
「裏側」に登って行ける道を見つけたのです。
案内板の下の方には、
「城の東端にあたる西岡神宮北側地区
(現在地)では、掘立柱建物跡や
土師質土器が大量に埋められた穴の跡
(土師質土器埋納土坑)、
古墳時代の箱式石棺1基などの
遺構が発見されています。」
このように書かれています。
この案内でわかるように、
「●現在地」と「至西岡神宮」。
「至」とは書かれていますが、
西岡神宮はお隣です(笑)
腰曲輪から千畳敷方面を臨む。
腰曲輪には雪が残っていますね。
案内。
掘立柱建物跡。
案内。
「室町から戦国時代にかけて
建てられたものと思われます」
このように書かれています。
西岡神宮北側地区の上段。
今度こそ(笑)、
宇土古城の散策は完了です。
西岡神宮に参拝していなければ、
ここは完璧にスルーしていましたから、
こうやって、来られたのも
神様のお陰に違いありませんね!