若宮八幡神社(福岡県うきは市)前編
興味によって見えるものが違う
うきは市の若宮八幡神社、
ここに妻と2人で参拝したのは、
7~8年前の事でしょうか。
今回は二回目の参拝という事で、
「行けば思い出すだろう・・・」
そんな乗りで訪問したのですが、
そんな考えは甘すぎました(笑)
逆に言えば、
まるで初訪問のように、
全てが新鮮そのものだったのです。
年月が経てば人の興味も変わるもので、
その興味が湧いているものが、
「見えるもの」になるからでしょう。
一度行った場所でも、
数年後に再訪問するというのは、
自分を見つめ直す
いい機会なのかも知れませんね(笑)
若宮八幡神社へ
観光協会「土蔵」の無料駐車場に
駐車した後、ずっと徒歩で
街の散策をした僕たちですが、
次に行く若宮八幡神社だけは、
ちょっと距離があるのです(汗)
と言っても
「ぼくたちの体力では」という
前置詞付きですが(笑)
鏡田屋敷近くの案内板は、
大きく目立っていて、
観光客には有り難いわかり易さです。
鏡田屋敷から南新川を見ながら
テクテク歩いて約15分ほど、
若宮八幡神社の正面入口に到着です。
え~ここに肥前鳥居があったのか!
興味が変われば見えるものも違うという
代表的な出来事です(笑)
しかし、ここは久留米藩。
佐賀藩からは遠いここ吉井町に
何故肥前鳥居があるのでしょう?
鳥居前の参道入口の石橋。
こちらも古くていい感じですね。
改めて肥前鳥居。
柱がテーパー(先細り)なのは、
江戸時代初期タイプですが、
笠木と島木の先端のデザインは、
江戸時代中期型に多く見られる
普通によくある明神鳥居風の
両端が反り上がる
比較的新しい(江戸時代です)
形をしています。
柱を見ても奉納時期などは、
確認できませんでしたが、
江戸時代中頃の建立と
勝手に推測しておきます(笑)
御神木と肥前鳥居。
肥前鳥居に限らず、
僕はこの角度で鳥居を眺めるのが、
カッコよさをより感じられてしまい
ついつい撮影してしまいます。
神額。
なかなか味のある字体ですね。
写真を拡大して見ると、右側には、
「寶曆庚辰八月掲」の文字が
刻まれているではありませんか!
最後の文字は「掲」なのかは、
自信ありませんが、
この肥前鳥居の建立は、
寶曆十年(1760年)という事が
ようやく判明しました。
あ~スッキリした~(笑)
楼門。
阿形の狛犬。
阿形の随神様。
吽形の狛犬。
吽形の随神額。
楼門をくぐって振り返ると肥前鳥居が
シルエットになってまた素敵です。
手水舎。
昔の手水鉢。
神馬。
これも佐賀県(肥前国)の神社に
よく見られる石の馬ですが、
ここは佐賀の影響を
受けていたのでしょうか?
拝殿へ。
その手前に、こんな案内があります。
江戸時代の青銅製狛犬とは、
なかなか珍しいものですね!
躍動感といい質感といい、
申し分ない出来栄えに
うっとりします。
筑前博多の山鹿平次郎の作品と
案内には書かれていました。
山鹿さん、グッジョブ!
吽形もたまらんです(笑)
まさに傑作。
案内の通り、吽形には、
日田の漢学者、
広瀬(廣瀬)淡窓の撰文が
刻まれています。
日田・・廣瀬淡窓・・・
何か聞いたことがあるような?
思い出しました!
廣瀬淡窓は、
大村益次郎が2年ほど通った
日田市の私塾咸宜園の創始者です。
これを知ったのは大村益次郎の
故郷、山口ににある
鋳銭司郷土館を訪問した時でした。
参道から狛犬までの間でも
すでに盛りだくさんで、
なかなか参拝が出来ません(汗)
拝殿すぐ前の石狛犬。
吽形。
そして、狛犬の先には、
これまた古そうな
灯籠(常夜燈)もあります。
寛政五年(1793年)の寄進。
そして、この後ろの案内版には、
またもや興味をそそられる事が!
「天保十五年(1844年)の青銅製の
灯籠一対が本殿の中にある」
簡単に言えば、このように書かれています。
寄進者は青銅製の狛犬と
同じく吉井の豪商、藤江伴右衛門です。
伴ちゃん、ありがとう!
令和の人もあなたのお陰で
楽しませて貰っていますよ(笑)
本殿に入って見るわけにはいかないので、
想像だけで満足しておきましょう。
対になった左側の灯籠(常夜燈)。
こちらは安永二年(1773年)の
寄進ですので、右側の灯籠よりも
少しお兄さん(お姉さん?)ですね。
そして、ようやく拝殿に到着。
肥前鳥居からここまで、
距離は短くても時間にすれば
長い道のりでした(笑)
参拝。
若宮八幡神社のお祭り、
「おくんち」は僕たちが参拝した
数日後の予定。
お祭りはいいけど、人が映り込み
ゆっくり写真が撮れないので、
やはり今日来て良かったかな(笑)
左から拝殿、幣殿、本殿。
本殿アップ。
大きくて立派な社殿があるという事は、
やはりこの地域での崇敬者も
多くいらっしゃるのでしょう。
若宮八幡神社、見所が
多すぎて、後編に続いてしまいます(笑)