柳廼社(やなぎのやしろ)(大野市)

 

登城コース

幕末の藩主、

土井利忠公を祭った柳廼社は、

越前大野城の麓に位置し、

登城コース上に鎮座しています。

また、

山上の登城路にも

土井利忠公の銅像がありますので、

大野市の「推し」は

間違いなく土井利忠公でしょう。

登城路・参道

越前おおの結ステーションから

お城を目指してスタート。

満開の桜も

僕たちを見送ってくれてます。

越前大野城天守&満開の桜。

たまらんな〜この景色!

社頭。

社号表。

お城の一部だった時代、

神社境内はお堀だったようです。

燈籠に施された

雪国独特の「雪囲い」。

一の鳥居。

さらに先へ。

二の鳥居。

大野市民俗資料館。

明治二十二年(1889)に

大野治安裁判所として建てられ、

昭和四十三年まで裁判所として

使用されたものをここに

移築されたと書かれています。

正面から外観のみ撮影し、

再び参道へ。

手水舎。

水道の水、出ます(笑)

参道右側に建つ2つの石碑。

向かって右側が中村重助の碑。

「土井利忠に仕え、大野藩を支えた。

天保十三年に出された

更始こうしの令」に始まる

藩政改革では政務の一切を任される、

信頼が厚い人物でした。」

このように書かれています。

左側は、

内山隆佐(りゅうすけ)の碑で、

案内の超訳は以下です。

「兄の内山良休と共に土井利忠に仕え、

藩船「大野丸」の建造や蝦夷地開拓の

中心的人物として活躍」

参道左側の「内山良休」の碑。

マンガ付きの案内を抜粋すると

以下になります。

「内山良休は武士でありながら商いを学び、

大野落の財政立て直しのために、

タバコや生糸などの産品を

広く全国に売り出す

「大野屋」を開設しました。

大野屋は大坂(大阪)、

箱館(函館)など全国37店舗にまで拡大、

現代で言うチェーン店を広く展開しました。

また、良質な銅鉱が産出した

面谷鉱山を藩営化しの増産に励んだほか、

弟の隆佐(りゅうすけ)とともに

蝦夷地(現在の北海道)開拓にも

取り組むなど、

大野藩の財政事建に大きく貢献しました。」

商売は卑しい者がやるものと、

下げずんでいた武士の既成概念を

180度転換させた、

藩主土井利忠公の英断あっての

内山良休さんの大活躍ですね!

御社殿

拝殿前には、

こんな案内があります。

お城メインの人にも

これは親切ですね!

なんだか、「参拝しなくてもOK!」と

言われている気にもなれますし、

しかもお城まで20分ならかなり

背中を押されまからね(笑)

僕たちは・・参拝します(笑)

狛犬の姿が独特。

吽形。

参拝。

由来。

基本、土井利忠公の生涯と功績が

案内されています。

拝殿から本殿へ。

拝殿(右)幣殿、本殿(左)

めっちゃ渋い色の本殿覆屋ですね!

登城路から俯瞰撮影。

神様(土井忠利公)へのご挨拶も完了し、

ここからは天守を目指します。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください