禅明坊光秀館(滋賀県大津市)
台風の合間に
結果的に今回の大津市周辺の旅は、
大型の台風9号と10号の
合間をぬっての
キワドイものとなりました(笑)
僕たちが旅立つ前日夜、
大型の台風9号が九州近くを通過、
新幹線はじめ西日本の
公共交通機関の多くは運休。
そして翌朝、計画運休の予定通り
僕たちの予約している朝一番の
「のぞみ」号も運休・・・。
しかし、
8時位からは運行を開始するとの情報があり
駅に行くと、
本来は変更出来ない企画切符でも、
台風で運休ならば無料で、
列車の変更が可能とのこと!
これで、ラッキーにも指定席で、
「行ける」事が決定(笑)
下が本来の始発、
上が変更後の切符。
ちゃんと「台風によるのぞみ2号運休の為」
と変更理由が書かれており、
このおかげで、
改札でお咎めを受けずに済みました(笑)
7時54分発がこの日の始発です。
当然ですが、2時間分溜まった乗客が
この始発に乗るので自由席は満杯、
改めて指定が取れたことに感謝!
京都駅へ
台風通過後の一番列車ということで、
最初は線路などの様子見もあり、
かなり徐行運転をしていましたが、
途中からはフル加速。
京都駅には、ほぼ定時到着という
離れ業?JR西日本さすがです(笑)
京都駅近くの日産レンタカーで
今回の相棒とご対面。
ここから目指すのは滋賀県大津市の
西教寺です。
びわ湖大津光秀大博覧会
出発の一週間ほど前、
大津周辺をネットで見ていたら
「びわ湖大津光秀大博覧会」というのが
催されていることを知り、行くことに。
当初の予定よりもかなり
内容が濃くなり過ぎて、
「行かない場所」の選定に困る始末(汗)
嬉しい悲鳴とはこのことか(笑)
パンフレットの表紙。
明智光秀とは縁の深い西教寺を中心に、
室内、野外においての大博覧会です。
こちらはマップ。
「戦国ぶらさんぽ」という副題の通り、
坂本の町を散策して楽しもうというもの。
名所がありすぎて、
到底全部は回れませんけどね(笑)
西教寺
京都駅から車で40分、
途中コンビニで昼食を買って
食べながらの運転(笑)
メイン会場の一つ、西教寺に到着。
西教寺には、いくつかの「坊」があり、
その一つが禅明坊光秀館として、
開放されています。
坂本城の門を
移築したと言われる山門。
これは高麗門ですね。
境内案内図。
山門横でチケットを購入。
参道。
禅明坊光秀館へ。
禅明坊前のお地蔵様にご挨拶。
入場。
まずは、記念撮影(笑)
明智光秀の足跡。
各地で見ている
大河ドラマのゾーンはほどほどに、
やはりここで見たいのは、
滋賀、大津ならではのゾーンです。
琵琶湖を泳ぐ(笑)
そして、なんと行っても
感動したのがこちらの展示方法です。
来館者が琵琶湖の中を
泳ぐ(歩く)設定で、
周囲にはお城や、合戦の模様が、
わかりやすく展示され、
琵琶湖の真ん中から
そんな史跡を見渡せるなんて、
贅沢すぎます(笑)
まずは湖西から散策。
「滋賀の陣」、
姉川の合戦で織田が
勝利した後に起きたもので、
実質織田方が、
浅井朝倉に負けた戦いですが、
信長は将軍や朝廷を動かし和睦し、
事なきを得ているのが、
一流の政治力なんでしょう。
光秀は、
有名な比叡山焼き討ち後、
坂本城主となっています。
坂本と言えば穴太衆。
というか、
日本のお城といえば、
穴太衆の石垣ですね!
信長の大船。
これは知らなかったな~。
この後、湖東をめぐります。
安土城。
姉川の合戦。
合戦図。
小谷城落城。
この展示では、琵琶湖周辺には
多くのお城があったことがわかります。
その中で、今回の旅で行った山城2つも
ちゃんと紹介されていました。
まずは、坂本近くの「宇佐山城」。
滋賀の陣で戦死した
森可成(森蘭丸の父)が護っていた城で、
その後明智光秀も
このお城を任されたそうです。
「田中城」
明智光秀が初めて
文献に登場した城です。
田中城という名前は、
全国各地にあるので、
ここでは「高島田中城」と書かれています。
新発見の部屋
ここに、こんな名前が
付けられていたのではありませんが、
最近発見されたものの
紹介がいくつかあったので、
僕が勝手に命名しています(笑)
光秀と西教寺の関連紹介。
坂本城の模型。
明知秀満(左馬之助)の湖水渡り伝説。
新発見!
光秀は滋賀出身だった!?
ちゃんと古文書が発見されているので、
一説としては正しいはずです。
こちらも新発見、湖上戦の資料紹介。
注目&新発見。
光秀の妻、煕子の没年が、
天正四年(1576年)である事の
裏付けが取れる資料が発見されています。
時間が無い(汗)
ただでさえ、スタートは二時間近く
遅かったというのに、
あまりににも素晴らしい展示で、
1時間近くも滞在してしまい、
この先どれだけ訪問出来るのか?
ま、楽しいならば長居はOKかな(笑)
禅明坊前の庭園を抜けて、
次は西教寺境内の散策へ。