増上寺(東京都港区)熊野神社
増上寺の鬼門封じ
鬼門とは、文字通り
鬼(邪気)が出入りする門のこと。
その鬼門があるのは北東(艮)の方角で、
現代の家においても玄関やキッチン、
お風呂、トイレなどの水廻りは、
避けるべき場所などと言われていますが、
家康さんが関東に移封された後、
江戸城の鬼門(北東)には上野寛永寺、
裏鬼門(南西)には増上寺が配置され、
町の鎮護としての役割を担っています。
その増上寺自体の鬼門には
和歌山県、熊野三山の神様を勧請した
熊野神社が配置されていますので、
お寺の守りは完璧と言えそうです。
境内図で位置を確認すると
三解脱門に向かって右、
プリンスホテルとの境目あたりで、
これは完全な鬼門ですね(笑)
熊野三所大権現宮
正式名称は、熊野三所権現宮。
ここでは、
「熊野」と書いて「ゆや」と読みます。
これって、初めて知りました!
社頭。
「熊野三所権現宮 由来記」
御神体は
熊野速玉大社のご祭神で、
「大本山増上寺熊野みこし講」が、
この神社を盛り上げてくださっています。
手水舎。
八咫烏(ヤタガラス)もお出迎え。
「三本足の烏 八咫烏」
神武東征の折、天皇を導いた
八咫烏の逸話、中国の故事、
天皇の即位の礼の旗の紋様や、
礼服にも八咫烏の刺繍があること、
サッカー協会のシンボルマークとして
使われていることが書かれています。
清浄な手水鉢で、
気持ちよく禊を完了。
手水舎の向かいに建つ石碑。
みこし講40周年記念に建てられ、
大本山増上寺熊野みこし講について
詳しく案内されています。
少し抜粋すると
「故 綿貫次郎翁(通称おじいちゃん)は
毎日増上寺安国殿に通い、
奉仕活動を日課としていました。
増上寺の繁栄を願い、
神輿仲間に声をかけ、
「熊野みこし講」を発足しました。
江戸の町を愛する若者達の結集、
これが「熊野みこし講」です。
綿貫のおじいちゃんの言葉、
一身をもって奉仕する気持」を受け継ぎ、
末永く後世につないで行ける様、
ここに四十周年を記念し
石碑を建立いたします。」
おじいちゃんの「増上寺愛」、
いっぱい頂きました!
参拝。
なんだか「精巧なミニチュア」
といった感じの本殿で、
覆屋の中に本殿があるデザインです。
真横から。
参拝後のツーショット。
本殿を背にして、鳥居へ。
ここでもやはり東京タワーは、
見守ってくれています!