増上寺(東京都港区)三解脱門

 

レンタカー無用

東京都内はとにかく便利です!

あまり待つこともなく、

どこでも電車やバスで、

簡単に行けてしまうのですから(笑)

従って、旅につきものの

「レンタカー」は無用。

全て公共交通機関と

自力(徒歩)のみの旅を

満喫したのでした。

大門(だいもん)

変なホテルで手荷物を預け

徒歩にて増上寺へ。

JR浜松町駅、地下鉄大門駅から

増上寺までは一直線。

大門に到着。

「川瀬巴水「芝大門之雪」〜新東京百景〜」

案内を抜粋・要約すると

以下になります。

「版画家の巴水にとって、

増上寺は生地に近くなじみの深い場所。

「新東京百景」の第1作で描いたのは、

その増上寺の旧総門「大門」であった。

巴水が描いた木造の大門は、

昭和12年、

回向院えこういん(墨田区両国所在)に移築され、

昭和20年、空襲で焼失した。

本作品は、

往時の大門を知る貴重な資料である。」

回向院が気になったので、

Wikipediaで調べると、

「振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれる

明暦の大火(1657年(明暦3年))の

焼死者10万8千人を

幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって

葬った万人塚が始まり。

のちに安政大地震をはじめ、

水死者や焼死者・刑死者など

横死者の無縁仏も埋葬する。」

このように書かれています。

明暦の大火当時、

家綱さんはまだ若輩だったので、

補佐役の保科正之さん達の主導で、

回向院は造られたのでしょう。

そしてこの回向院は、

妻がお参りに行くべき場所かも

知れません・・・。

三解脱門さんげだつもん

大門を少し行くと

増上寺の山門である

三解脱門が見えてきます。

門よりも東京タワーの存在感に、

目が奪われてしまいますね!

地図の真ん中あたりが現在位置。

現在の芝公園やホテルの敷地全部が

昔は増上寺の境内だったようです。

こちらは現在の増上寺境内図。

増上寺での主目的は、

この地図の右上(北西)、

「徳川将軍家墓所」への参拝ですが、

まずは途中の見所をいくつか巡ります。

三解脱門。

横からも撮影。

増上寺と三解脱門の案内。

以下、それぞれの要約です

「増上寺は、室町時代の創建で、

慶長三年(1598)現在の場所に移転し

徳川家の菩提寺として

浄土宗の統制機関となりました。

その規模は寺領一万石余、

二十数万坪の境内地、山内寺院四十八宇、

学寮百数十軒、

常時三千名の僧侶が修学する

大寺院でした。」

「三解脱門は、慶長十六年(1611)に

徳川家康公の助成により、

江戸幕府大工頭・

中井大和守正清によって建立され、

元和八年(1622)に再建されました。

この門は、増上寺で唯一の

江戸時代初期の面影を残す建造物で、

重要文化財に指定されています。」

ここで書かれた大工頭の中井さん、

江戸城、名古屋城、駿府城、

その他数多くの

有名建築物を建てた人で、

家康さんにとっては、

天海さんと同じく重要な

ブレーンだったと思います。

門をくぐり境内へ。

境内側から三解脱門を撮影。

大殿と東京タワー

そして、

いきなり見えてくるのが、

こちらの光景です。

ド〜ン!(笑)

増上寺の大殿(本堂)と

東京タワーのツーショット。

これはテンション上がりますな〜!

そしてこの風景は、

JR浜松町駅のロゴの元ネタでもあります。

こちらが浜松町駅のロゴマーク。

縦位置でも撮影。

新たに建った麻布台ヒルズも入れて、

スリーショットというのが正解かな?

テンション上がったついでに(笑)

夫婦のツーショットも完了。

水盤舎

三解脱門に続き、

空襲で焼け残った幸運な水盤舎へ。

手水舎ともいいますが、

ここは水盤舎となっていますね。

徳川家三代将軍家光公の三男、

甲府宰相綱重公の霊廟にあったものが、

現在地に移築されています。

明治時代の解体や空襲を乗り越えた、

幸運な水盤舎ですね!

青竹で設られた

コロナ対策仕様の

ハイブリッドタイプ。

これで幸運ゲット間違いなし!

鐘楼堂

次に水盤舎向かいの鐘楼堂へ。

正面。

案内を抜粋すると

以下になります。

「寛永二年(1633)に

建立されましたが焼失、

戦後に再建されました。

納められている大梵鐘は、

延宝元年(1673)に品川御殿山で

椎名伊予守吉寛により鋳造されました。

徳川四代将軍家綱公の意向で奥方の

「かんざし」まで寄与され、

七回の鋳造を経て完成したもので、

江戸三大名鐘の一つに数えられ、

東日本では最大級として知られています。」

ここで品川御殿山を調べると

三代将軍の家光さんが愛用していた

御殿があった場所でした。

もしかすると、

四代将軍の家綱さんが、

父の家光さんを偲んで、

この梵鐘の鋳造を御殿山で行ったかも

知れません(あくまでも推測です)

注目は石の台座。

江戸城を彷彿とさせる

美しい切り込み接ぎです。

正面に東京タワーを見ながら?

鐘を撞くのですね!

なんだか楽しそう(笑)

(続く)

 

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