会津藩主松平家墓所・松平容保之墓
改葬
院内御廟(会津藩主松平家墓所)の
歴代藩主のお墓の中で、
松平容保のみが改葬されて、
ここにお眠りになられています。
「九代藩主松平容保墓所」
案内を書き出すと、
「九代藩主 松平容保 忠誠霊神
美濃高須藩主松平義建の六男で、
八代藩主容敬の養子となりました。
京都守護職を務め、
京都の治安維持と
公武合体の実現に努めました。
会津戦争を指揮した後、
謹慎を解かれ、
日光東照宮の宮司などを務めました。
没後、新宿区の正受院に
埋葬されましたが、
大正六年(1917)に
この地に改葬されました。」
このようになります。
戊辰戦争で戦った
鶴ヶ城の近くに改葬され、
きっと容保さんは喜び、
かつ安心してお眠り
くださっている事でしょう・・・
松平容保之墓
容保さんのお墓は、
院内御廟の一番上に位置し、
歴代の藩主達を見守っている形です。
絵地図で見ると
容保さんのお墓は左上の一角。
あと30m。
石段で奥へ。
やった〜遂に到着!
亀ちゃん(亀趺)。
勿論、他の藩主と同じく
亀ちゃんの頭は
松平容保さんのお墓を向いています。
この面には、
京都守護職を拝命後、
戊辰戦争までの苦しい状況が
記されていて、
案内にあった日光東照宮だけでなく、
されていたことが分かります。
お墓へ。
歴代藩主と同じ形の燈籠。
お邪魔します。
参拝。
やっと来れました・・・
墓石から鎮石へ。
こちらも歴代藩主と同じ形式ですね。
鎮石に参拝。
「忠誠霊墳鎮石」の文字。
最後まで忠義を貫いた
容保さんに相応しい
「忠誠霊神」という神霊号です・・
松平家之墓
次にお隣に位置する松平家の墓へ。
参道。
お邪魔します。
「松平照姫」について。
案内書き出すと以下になります。
「上総飯野藩主
保科正丕(まさもと)の三女に生まれ
十一才の時、会津藩八代藩主
松平容敬の養女となる。
豊前中津藩主奥平昌服のもとに嫁ぐが
再び会津に戻る。
姉として九代藩主容保をささえた
戊辰戦争鶴ヶ城籠城戦では、
城内の婦女子を指揮し負傷者の看護や
打ち込まれた砲弾の処理にあたるなど
西軍の攻撃から一ヶ月もの間城を守った。
開城後、
滝沢の妙国寺に謹慎の身となった照姫は
髪を落とし照桂院と名を改める。
荒れはてし 野寺の鐘もつくづくと
身にしみ増さる 夜あらしの声
謹慎が解かれた後は、
容保と和歌を交わすなど
和歌に親しむ日々を送るも
明治十七年二月逗留先の
旧会津藩家老山川邸にて
五十三才の生涯を閉じた。」
婦女隊の中野竹子が
会津若松の戦いで合流を目指した
あの照姫ですね・・
Wikipediaには、涙なくしては
語れないエピソードが・・・
「会津藩の家老だった萱野長修(権兵衛)が
戦争責任の罪を引き受け斬首になった時
照姫は萱野に
「夢うつつ思ひも分す惜むそよ
まことある名は世に残るとも」の
和歌を贈り、遺族には見舞金を贈った。」
心に染みる逸話です・・・
松平家の墓に参拝。
熊鈴返却
参拝完了後は、
入之峰から麓の墓所入り口へ
チリ〜ン、チリ〜ン・・
熊鈴の音に、
相変わらず癒されますな〜!
もうすぐ冠木門。
次の日に行く予定の
萱野長修(権兵衛)さんの
お墓がある天寧寺、
ここから500mと
意外とご近所なんですね!
最後に素敵な音色で、
僕たちの御廟参拝に、
彩りを添えてくれた熊鈴とともに
ツーショットで〆。
熊さんたち、
ホントにお邪魔しました〜!
熊鈴無事返却完了!
そして、駐車場へ。
この後、会津藩主だった
蒲生氏郷の子、
蒲生秀行の御廟へと向かいます。