土津神社(福島県猪苗代町)御社殿編

 

雪と桜

土津はにつ神社の駐車場に到着し、

参拝に向かおうとした時、

妻の雄叫びが(笑)

「見て〜すごいよ〜!雪の山がある〜!」

4月半ばに、こんな沢山の雪、

福岡では見られませんから

妻が叫ぶのも納得です。

そして、

振り返ると・・・

桜が満開だ〜!

雪と桜、

ダブルで楽しんだ土津神社です。

参道

まずは、案内から。

文章を抜粋すると

以下になります。

「土津神社は、

徳川三代将軍家光の異母弟で、

徳川四代将軍家綱も補佐した

会津藩松平家の初代

保科正之を祀った神社です。

正之公は磐梯山の神、

磐椅いわはし明神を祀った古社・磐椅神社の

末社として自分を祀るように遺言され、

その社は没後1675(延宝3)年に

土津神社として創建されました。

造営された社は、

日光東照宮と比べられるほど

絢爛豪華なものだったといいます。

残念ながら創建当初の建物は、

戊辰戦争で焼失してしまいました。」

保科正之公は、

磐椅明神様のご加護の元、

ここから会津を見守ろうと、

この地を選ばれたのでしょう。

境内絵図。

社頭。

こんなに桜が見られるとは、

以前から

「保科さんのお墓に参りたい」

そう言っていた

妻の保科正之さん愛が

通じたのかもですよ(笑)

土津神社の御由緒と祭神について。

抜粋要約すると

「正之公は吉川惟足、山崎闇斎、

横田俊益等当時の最高学者を

師とせられ、

殊に当時殆ど絶えなんとした

日本古来の卜部神道の大家

吉川惟足を師とせられ

四重の奥秘を受け継がれ、

幕府に神道方を置き、

神道精神の復興に

大きな貢献をされた為、

土津靈神の靈号を受けられたのである。」

ここでは以前、

神社検定一級のテキストで知った

有名神道家の名前を目にし、

そんな人たちと昵懇だったとは、

保科さん、さすがだな〜と

改めて感心してしまいます。

最後に

「相殿合祀

三代〜九代歴代藩主」

ここに注目。

保科正之の実子で、

ここに来る前、

会津藩主松平家墓所でお墓に参った

二代藩主「正経」さんだけが、

合祀されていないのは、

唯一、「仏式」のお墓に

眠られているから、

気を使ったのかな?

なんて考えてしまいます。

「奔雷瀑(ほんらいばく)」

「蛙石(かえるいし)」

「由緒

奔雷は激しく鳴る雷という意味で、

以前は水量が多い滝でした。

現在も境内の趣を深めるとともに、

参拝者の心を鎮め、心身を浄化しています。

滝のそばでは、縁起物の蛙石が参拝者を

お出迎え、お見送りします。」

ご利益の一つに

「旅行安全」とあります。

お陰で家まで

無事「かえる(蛙)」ことが

出来ました(笑)

石段でさらに奥へ。

新撰組の「誠」、会津藩の旗印、

保科さんの家紋「並九曜」など、

両サイドと真ん中の幟、

そして満開の桜で、

歓迎感満載の土津神社に

めっちゃテンション上がる二人です!

地元出身の

野口英世博士も小学生の頃から

土津神社を参拝していて、

大正4年の帰国時にも参拝し、

持参したカメラで写真を撮ったと

書かれています。

もうすぐ階段も終わり。

拝殿が見えてきました。

このあたりの桜も

いい感じで咲いているな〜!

手水舎へ。

なんかめっちゃ綺麗!

お〜素晴らしい!花手水ですよ!

柄杓も整然と並んでいて、

この歓迎感も

またたまらんですな〜!

文化六年(1809)寄進の石燈籠。

ここから拝殿へ。

参拝。

拝殿から本殿へ。

満開の桜の下で、

結婚式の前撮りがあっています。

「記念樹 小彼岸桜 松平保定」

と書かれていて、

Wikipediaによると

この方は、

会津松平家の13代当主です。

本殿遠景。

本殿に参拝。

本殿横の境内社に遥拝。

この後、

いよいよ妻の願望だった

保科正之公のお墓へと向かいます。

 

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