赤淵神社(兵庫県朝来市)前編
アナログで見つけた神社
紙の地図を持たなくなって、
いったい何年になるでしょう。
もう20年近くは
経っているかも知れません。
今や旅のお供はiPhoneの
Google Map。
これさえあれば、何処へでも
迷うことなく行けてしまう・・・
というのは神話でした(汗)
実は今回参拝した赤淵神社、
グーグル先生ともあろうお方が、
全く頓珍漢な場所を
僕に教示したのです。
「弘法も筆の誤り」とは言いますが、
「グーグル先生もナビの誤り」
だったのでしょうか(笑)
結局、地元民の方に教えて貰い、
めでたく無事に到着。
やはり、いざとなったら人と人、
アナログ最強伝説となった
赤淵神社です(笑)
一の鳥居
車を境内中腹の社務所前に置き、
石段を下りて社頭からスタート。
自然石の社号標。
その先には、
古そうな灯籠と一の鳥居が見えます。
文政十二年(1829年)寄進の
灯籠には「別當」の文字が刻まれ、
かつての神仏習合の名残が。
(別當とは寺社を総轄する偉い人)
赤淵神社の逸話。
「御祭神である表米宿禰命が、
丹後、白糸の浜に来襲した
新羅の賊を討伐した際、
沈没しかけた命の船が、
海中から無数のアワビに助けられ、
そのアワビを赤淵神社に祭った」
「近隣では今でも
アワビを食べない風習が残っている」
神話にありがちなストーリーですが、
表米宿禰命はピンチになっても
誰かに助けてもらえるほどの
人望を持ち合わせた
立派な方だったのでしょう。
そして、僕もアワビを食べない
風習を持っています。
その理由はもちろん、
高級品で手が出ないから(笑)
楼門
社頭でいきなり
200年前の灯籠に出会え、
否が応でも僕の気持ちは
昂ぶってしまいます。
妻は至って平静ですが(笑)
石段を登ると楼門が見えてきます。
楼門に到着。
案内を要約すると
「この楼門は、
かつての神宮寺の山門で、
現在の門は、
文政十三年(1830年)の再建」
「丹波柏原(かいばら)の
彫刻師、中井権次による
見事な彫刻が施されている」
このように書かれています。
実はこの翌日、偶然にも
僕たちは丹波市柏原町の
柏原八幡宮に参拝していましたが、
そこでも中井権次は腕を奮っています。
斜めから撮影。
正面から。
躍動感溢れる見事な龍の彫刻。
阿形の狛犬も生き生きして、
今にも動き出しそうですね。
吽形の狛犬。
境内側から撮影。
随神門
(元)お寺の山門の次は、
神社の随神門です。
随神門が見えてきました。
随神門。
阿形の随神様。
こちらは吽形。
勅使門
この神社には江戸時代の建築物が
わんさか存在していますが、
その中でも勅使門は必見です。
上の段の正面に勅使門が見えます。
勅使門手前を守る阿形の狛犬。
円形の台座は、たま~に見かけますが、
何時の時代のものかは分かりません。
吽形。
向かって右側の灯籠。
こちらは左側の灯籠。
二つとも同じ、
「寛政四年壬子正月日
別當二十一世祐照」の
文字が刻まれています。
寛政四年は西暦1792年で、
建立から230年も経っているわりに
大きな傷みもなく良好に保たれています。
勅使門の案内。
寛政十一年(1799年)の再建で、
「見事な彫刻は
丹波柏原の彫刻師、
中井丈五郎、
久須善兵衛によるもの」
なるほど~
ここでも「丹波柏原」の地名ですね!
また、
勅使の通行のみに使われるという
勅使門が、存在するという事は、
天皇家とのご縁が深い神社(お寺)
だったのでしょう。
正面。
門扉の透かし彫りや
天井の彫刻が素晴らしい。
ペリカン?(笑)
こちらは亀。
斜め右から。
左横から
左右に飛び出た「木箱」のような
屋根付きの部分は、
何の意味でしょうか。
いつかは解明出来るかな(笑)
(後編へ続く)