青森縣護國神社(弘前市)

 

非県庁所在地という幸運

江戸時代、

藩主の居城弘前城を擁し、

藩の政庁だった弘前ですが、

明治維新後、

県庁(政庁)は青森市に置かれ

弘前市は青森県を構成する

一つの都市となっています。

個人的な考えですが、

弘前市が県庁所在地にならず、

青森市に政庁機能が集中したことは、

弘前市にとっては、

幸運だったかも知れません。

弘前城の城域には庁舎も建てられず、

濠(堀)も水を湛えたまま、

江戸時代の姿をとどめつつ

多くの城域が残され、

それにプラスして、

米軍の空襲にも遭っていないので、

天守はじめ、

江戸時代初期に建立された櫓や門も

多くがそのまま健在です。

(青森市は大空襲を受け

大きな被害が出ています・・)

このような幸運が重なり、

弘前市内の多くの

歴史的建造物はそのまま残され、

僕たちは昔ながらの弘前市を

肌で感じ、

楽しむことが出来るのです。

弘前城・四の丸

青森縣護國神社は、

弘前城の北の端、

四の丸に鎮座しています。

案内図で見ると、

赤丸で囲んだ場所です。

社頭。

案内を書き出すと

以下になります。

「ここは平和の社です

このお社は青森縣護國神社といいます。

青森縣護國神社は、

津軽藩主津軽承昭公の思し召しにより

箱館戦争の戦没者慰霊のため、

明治三年に創建され、

明治四十三年三月に

弘前招魂社として現在地に移築、

昭和十一年八月青森縣招魂社となり、

昭和十四年四月、

一府県一社を原則とした

内務大臣指定護國神社となったものです。

この神社には、幕末・明治維新以来、

日清戦争・日露戦争・

大東亜戦争など多くの戦いで、

日本の平和と美しい山河や

愛する家族を護るために亡くなられた、

青森県出身

ニ万九千百七十一柱の方々の

御霊ー「英霊」が神様として

お祀りされています。

いま、こうして私たちが平和で豊かに

暮らしていられるのは、

国の危域に際して尊い命を捧げられた

「英霊」のおかげであることを、

決して忘れてはなりません。

青森縣護國神社にお参りし、

英霊に感謝の気持ちを伝えましょう。

青森縣護國神社」

心に染み入る素敵な文章ですね。

しかも全ての漢字に

「ふりがな」がふってあり

小学生でも読めるところが、

また素晴らしいじゃないですか!

参道

ここから境内へ。

一の鳥居。

左右の石の台座、

木が植えてありますが、

もしかすると金属供出で、

狛犬とか神馬とか、

元々の主さんが、

いなくなったのかも知れません・・・

桜並木の参道。

二の鳥居前に到着。

御社殿

ここから御社殿へ。

ここにも何やら案内があります。

「平和の道標

ふりかえってみよう、平和の原点

ー往事を思い感謝の心をー

いまの私たちは、平和で豊かな暮らしを

当たり様のように思っていますが、

今から百年ほど前は、

決してそうとばかりは言えませんでした。

当時の世界は、国家の舵取りを誤れば、

いつ西欧諸国に支配されるか

分からない時代だったのです。

このような時代に

近代国家としての産声を上げたわが国は、

自らの生存と独立を護るため

幾度が戦わざるを得ませんでした。

いまの平和と豊かな暮らしは、

国の危機に際して尊い命を捧げられた

「英霊」のおかげであることを、

決して忘れてはなりません。

「私たちの今」と、

どこかで必ず繋がっている英霊に

あなたからひとこと

「ありがとう」と伝えてください。」

こちらもジーンと来ますね・・

もしも日露戦争で負けていたら

ソ連支配下の東欧諸国並みか、

それ以上に過酷な運命が

待っていたでしょう。

悲しいかな、

独立を護るというのは、

そんなものです・・・

両脇の組物は、

護國神社恒例、

毎年お盆に開催される

「みたま祭り」の

燈籠用かと思っていたら、

こちらでは「弘前さくらまつり」期間の

4月4月28日、29日に例大祭、

献燈みたままつりが行われているようです。

桜の花で御英霊をしのぶ・・

素晴らしいと思います!

拝殿へ。

参拝。

桜の花びらの中に

「青森」があしらわれた神紋。

本殿にも参拝。

こちらは新撰殿かな?

拝殿前にてツーショット完了。

軍艦津軽の碑

ここからは慰霊碑群へ。

ここから慰霊碑の皆様に参拝・・

その後、見つけたのが、

こちらの石碑です。

「軍艦津軽の碑」。

津軽のシルエット。

カタパルト付きで、

飛行機まで搭載されていたようです。

「軍艦津軽の生涯」

以下要約です。

「敷設館津軽は、

太平洋戦争開戦と同時に各方面で活躍

何度も損傷するも都度、復活し、

最後は潜水艦の雷撃により

昭和十九年六月二十九日

午前十一時三十分、沈没。」

僕たちが参拝したのが6月6日。

その20日ちょっと後の

6月29日の命日には、

軍艦津軽の慰霊祭が行われています・・

そしてそれは、

参加者減少の理由で、

「最後の慰霊祭」と

なっているのです・・。

そんな大切な慰霊祭直前に参拝できたこと

御英霊の皆様のお導きを

感じずにはいられません・・・

 

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