蒼柴神社(新潟県長岡市)後編
名は体を表す
蒼柴神社が鎮座する悠久山公園。
「悠久」とは太古の昔から
未来までずっと続くことを意味し、
ここに佇んでいると
まさに「名は体を表す」と言う
言い古された慣用句を思い出させます。
祖先に見守られながら
何気ない日々を公園で過ごす人々・・
戊辰戦争で灰燼に帰した長岡市だからこそ
心伝わる空間が出来たのでしょう。
忠犬しろ神社
本殿参拝後は、
ちょっと珍しい神社へ。
御社殿内に犬の像が安置された、
「忠犬しろ神社」。
案内を超訳すると、
「庄屋善兵衛から白い犬を譲り受けた
御祭神の牧野忠辰公は、
その犬を「しろ」と命名。
忠辰公江戸在勤の折、
しろも単身江戸へ。
そこで尾張徳川家の犬に挑発され、
追い払うも徳川の犬に
怪我を負わせたことで、
しろは再び単身長岡へ、
庄屋善兵衛の元に帰るも、
殿のお許しがないと飼えないので、
お城に戻るように言うと、
しろは城には戻らず、
小高い丘で息絶えていた」
このようになります。
しろに参拝。
境内社
次に、しろ神社の並びの境内社へ。
左から天満宮、稲荷神社、
互尊社(ごそんしゃ)。
あまり聞きなれない名前の
互尊社について、
その案内を要約すると
以下になります。
「互尊社
三祖廟(さんそびょう)御祭神
伊勢神宮 天祖 天照大神
橿原神宮 皇祖 神武天皇
明治神宮 大祖 明治天皇
互尊社は、互尊独尊を唱えた
野本互尊翁(のもとごそんおう)が、
建立を計画し、
昭和十五年に現在の長岡市
福住の地に創建される。
互尊独尊とは自らを尊び、そして
お互いを尊ぶと言う思想で、
山本五十六をはじめ長岡出身の偉人たちに
大きな影響を与えた。
令和二年、悠久山公園造営百年と
令和の御代替わりを記念して
蒼柴神社に遷座された。」
互尊独尊というフレーズ、
僕は身に染みて分ります!
自分を大好きでなければ、
絶対に人を好きになれませんからね。
「互尊独尊」
僕の幼い頃の経験からして
この考え方は、大正解!
・・上から目線か?(笑)
悠久山招魂社
実は、蒼柴神社参拝のメインは、
悠久山招魂社への参拝でした。
(御祭神様、ごめんなさい!)
本殿の左側に鎮座する
招魂社への参道。
長岡市内の至る所に建つ、
「戊辰史跡 案内標柱」。
過去を知り、祖先を尊び、
そして、
輝かしい未来に繋げる・・・
まさに「悠久」を具現化する
大切な案内ですね!
墓域へ。
左右には一人一人の
名前が刻まれた招魂碑が
参拝者を見つめています。
右側の本殿とともに。
招魂社の鎮座地として、
最高の場所ではないでしょうか。
こちら側からの方が、
覆屋内の本殿がよく見えるので、
少し道草を食ってしまいました(汗)
お〜彫刻も見えてる〜!
牧野家の家紋「丸に三ツ柏」も
しっかりと確認できます。
そして、招魂社本殿へ。
本殿前。
山本帯刀と河井継之助の墓標に参拝。
河井継之助のレリーフ。
参拝。
神額の文字は、
長岡藩主牧野家十五代当主、
牧野忠篤氏の謹書です。
社殿右側の招魂場にも参拝。
招魂碑の後ろに見える、
山本五十六から寄贈された
機雷と魚雷。
ここまでで、
招魂社の参拝は完了です。
御朱印
その後、社務所へ。
御朱印を授与していただき、
残る行事は一つ・・・
拝殿前にてツーショット完了。
本日の休憩所
蒼柴神社の素敵なところは、
たくさんありますが、
その一つが休憩所です。
木の温もり、和みますな〜!