出羽三山神社(羽黒山)随神門

 

判断

出羽三山神社に行く朝、

ホテル周辺の天気は雨模様。

天気予報を見ても、

好天ではなく荒天になる予想(汗)

ただ、

最初に行く羽黒山は低山で、

道路も神社近くまで整備されているし、

そして何よりも

妻という幸運の女神(笑)が居る事で、

出羽三山神社までは問題はないと判断。

さて、結果は如何に?

羽黒山大鳥居

出羽三山神社の象徴と言えば、

国道を跨ぐ大鳥居。

まずはこれを体験するしかありません。

昭和四年に最初の大鳥居が建立され、

数度の修築を経て、数年前に

現在のものとなっているようです。

「写真撮影場」なる案内と

撮影スペースが設けられ、

しかも大駐車場を

カメラ目線外に作る事で、

大鳥居の撮影を

大いに満喫できるようになっています。

細やかな配慮、痛み入ります!

写真撮影場から。

ちょっとズームで。

神額の文字は、

「月山神社」がメインですね。

随神門

次なる目的地は随神門です。

随神門周辺案内図。

雨だからか、

随神門前の駐車場が空いていて、

超ラッキー!

社頭。

鳥居には、

「月山 羽黒山 湯殿山」の神額。

ただし、鳥居よりも

赤いポストに目が行きます(笑)

何故ここに現役のレトロポストが

あるんでしょうか?

ちなみに集配時間は、

毎日10時20分ごろです。

随神門へ。

羽黒山案内図。

ここから

地図左下の随神門をくぐり、

途中五重塔を見ながら

徒歩で山上の御社殿まで

行くことも想定していましたが、

大雨だし、

五重塔が修築中という事も含め、

時間と気力もないので(笑)

山上まではワープする事に。

随神門。

まずは門前右側の石へ。

「天拝石」

「この奇石を通し

天を祭ったもので

その昔修験者の行法を

行った場所の石と思われる。」

このように書かれています。

注連縄があるので、

いっそうそれらしく見えますね。

「随神門」

「明治時代までは二王門と呼ばれ、

二王尊が祀られていた。

元禄八年(1695)

由利郡矢島領主生駒讃岐守が、

家運繁栄と極楽往生を祈って

寄進したものである。

門に祀られる随神は

櫛石窓神と豊石窓神で、

門から侵入する厄災・疫病などを除く神で、

宝暦二年(1752)6月、

仏師大熊宮内の作。」

このように記されています。

生駒讃岐守って、

あの高松城主だった

生駒氏なんですね!

藩主の生駒高俊が美少年にうつつを抜かし、

藩政がガタガタになった生駒騒動で、

出羽に配流されたのですが、

その子孫(多分、高俊の息子)は、

こんなに素晴らしいものを

残しているとはビックリです。

殿様が美少年にうつつを抜かした結果、

僕たちは随神門を見られるんですから

歴史ってホント不思議だ〜(笑)

櫛石窓神または豊石窓神。

どっちがどっちかは不明なままご挨拶。

「羽黒山の石段」

「慶安(1648〜1652)の前後

13年の歳月を掛け、

天宥別当が一の坂下の大直日神社から

八幡神社の上までの

約1.2Kmに石段を築いた。

その費用は参詣者や信者の寄進と

山内の規則を破った者の罪の代償による。」

このように記されています。

最後の「罪の代償」にはちょっと

笑ってしまいますが、

「石段を寄進すれば罪は許される」

みたいな感覚もあったのでしょう。

石段へ。

滑るけど少し歩くことに。

この石段、

はつり仕上げ(簾仕上げ)ですね!

いや〜豪華に作っていたんだ〜!

記念のワンショット。

再び随神門へ。

(続く)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.