安積国造神社(福島県郡山市)後編
開拓の神様
安積国造神社の境内には、
こんなポスターが
貼られていました。
「第二回 清水台つくしまつり」
常に新たなことに挑む前向きな姿勢は、
御祭神の比止禰命(ひとねのみこと)が、
安積国造として、
未開だったこの地を開き
安積国造神社をお祀りした精神を
受け継がれている気がしますね!
皇大神宮
まずは、本殿向かって
右側面に鎮座する皇大神宮へ。
参道。
鳥居は昭和48年の
神宮式年遷宮において
伊雑宮(いざわのみや)の鳥居を
下賜されたものと
案内に書かれています。
御祭神など。
ここで、
「蚕養神社配祀」に注目。
会津若松では、
蠶養國神社(蚕養國神社)に
参拝しましたが、
福島には「お蚕様」を祀る神社が、
多いのかも知れません。
ここで祀られている
「大気津比売神」、
古事記においては、
スサノオが腹が減ったから
何か食べたいと言った時、
自分の鼻や、口や、尻の穴から
いろんな食べ物を出してあげたのに、
「けがらわしい!」と斬り殺されて、
その死体の頭から蚕が、両眼からは
稲の種が生じたという神様です(笑)
天照大神様と大気津比売神に参拝。
参道横の祠群にも参拝。
安積天満宮
本殿向かって左側の
安積天満宮へ。
由緒。
御祭神は菅原道真公と
安積艮斎さんです。
参道。
火袋から上は復元ですが、
左側の灯籠には「安政三年」と
刻まれています。
参拝。
絵馬。
やはりここは、地元のヒーロー
安積艮斎さんのお宮ですね!
白玉稲荷神社
次は、
天満宮のさらに左側に鎮座する
白玉稲荷神社へ。
参道。
なんかいい雰囲気!
参拝。
参道横の小さな祠にも参拝。
さらに左側の稲荷神社へ。
参拝。
信州高遠透かし灯篭
白玉稲荷神社の前には、
古い灯篭が安置されています。
案内には「信州高遠透かし灯篭」と
書かれていて、
なぜ「郡山」(福島県)で、
「信州」(長野県)なんだろう?
不思議に思いながら
案内を読むと、
感動ものの素晴らしいお話が
紹介されています。
案内を要約して書き出すと、
以下になります。
「明和七年(1770)
安積国造神社五十五代宮司
安藤親重先生は白玉稲荷大明神が
正一位を賜ることとなり京都へ上る途中、
同宿した信州高遠の商人二人が
商売に失敗して故郷に帰れないという
話をしており、
哀れに思った宮司が
二人を慰め金子を与えました。
その後、二人が郡山に宮司を訪れ、
「その後、商売は回復しました、
宮司様へお礼に参上しました」
宮司が答えて言うに
「私はあなた方に金子を与えた
覚えがありません。
おそらくこれは白玉稲荷大明神の
お恵みでしょう。」
との事。
二人の商人は深く感謝して涙を流し、
この透かし灯篭を
感謝の真心として奉納しました。
信州高遠城下の
小林・井口の両家はそれぞれ後
益々繁栄しております。」
いや〜これはたまらん話ですね!
宮司さんの高尚な人柄と
その恩義を忘れず、
信州からわざわざお礼を言いに来て、
灯篭を奉納した二人の商人・・・
そして、
その灯篭の柱を見ると・・・
「明和七庚寅歳 五月吉祥日
信州高遠城下 小林清左衛門
同 櫻井邑 井口常五郎」
しっかりと読めますね!
奉納から250年、
風化もせず、
長い月日を感じさせないほど
鮮明に文字が残っているのも
白玉大明神の御神徳に違いありません。
郡山市招魂社
境内の端っこに鎮座するのが、
郡山市招魂社です。
エントランス。
御英霊の皆様に参拝。
神楽殿
安積国造神社の神楽殿、
相当にインパクトがあります!
大きなお多福です(笑)
なんだか、
「魂」が入っているようで、
大いに力をいただけました!
石碑
神楽殿横には
二つの石碑が建っています。
右側、
「安藤脩重翁碑
幕府老中 稲葉正邦候 篆額
儒学者 岡鹿門(艮斎門人)撰文」
左側、
「郡山邨八幡祠之碑
因幡国若桜藩主池田冠山候銘
安積艮斎撰文 小島成斎題字 書」
なぜ、郡山なのに
鳥取の藩主なのでしょうか。
先ほどの灯篭と同じような、
何か偶然の出会いがあったのかも
知れません。
藤の花
妻が気づいたのが
藤の花です。
藤棚ですが、
垣根のような作りですね!
まだ蕾ですが、
やはり藤の花は美しいですね!
最後はこれで〆(笑)
安積国造神社、
心に響くストーリーで、
僕たちを大いに魅了してくれた
素晴らしい神社でした!