安宅住吉神社(石川県小松市)前編

 

「勧進帳」発祥の地

小松といえば・・コマツ(笑)

ここは世界的企業のコマツの本拠地。

石川県というよりは、

日本を代表する企業です。

そんなコマツ、いや小松に(笑)

歌舞伎の演目「勧進帳」の元となった

安宅の関あたかのせきが存在することを知ったのは、

旅を計画していた時のこと。

小松訪問の3週間前に

義経さんが大活躍した

屋島古戦場へ行ったから

「是非、ここにも来てね!」と、

呼んで貰ったのかも知れません(笑)

小松空港〜神社へ

「安宅の関」は、

安宅住吉神社の境内地にありますので、

まずは、神様に敬意を表し、

神社へ参拝することに。

小松空港のレンタカー送迎車停車場。

この手前で妻が見つけたのが、

こちらの銅像です。

歌舞伎、勧進帳の

弁慶と富樫左衛門の銅像です。

前から撮影。

いきなりの勧進帳銅像登場に、

僕たちのテンションは、

またまた爆上がり!

何かにつけ、

超簡単にテンションが上がる二人です(笑)

レンタカー会社の送迎車が到着。

ここで二日間お世話になる

相棒(車)と合流し

安宅住吉神社を目指し出発。

走ること5分、

神社の駐車場に到着です。

参道

まずは駐車場に建つ2つの案内を

書き出してみます。

「安宅住吉神社」

「創建は天応2年(782)と伝わり、

正保4年(1647)に

現在の二堂山ふたつどやまに遷座しました。

航海安全の守護神として、

北前船主の崇敬を受けました。

現在、「難間発破」の霊神として

信仰を集めています。

毎年2月11日には海上安全を祈願した

起船祭きしゅうさいが行われ、

文政13年(1830)奉納の大杯で

神酒を飲みかわします。」

「船絵馬」

「北前船主らが航海安全を祈願して

奉納した船絵馬が安宅住吉神社と

金刀比羅社にあります。

江戸時代から明治時代の絵馬があり、

和船に西洋帆船の帆を張った

「合の子船」が描かれた

絵馬もみられます。」

住吉様も金刀比羅様も

海を見守ってくださる神様ですから、

ここは「海上安全最強の神社」かも

知れませんね!

社頭。

参道へ。

右側の燈籠は4ヶ月前の

能登半島地震で倒壊しています・・

狛犬は無事だったか!!

良かった〜!

こちらの燈籠も無事を確認。

鳥居も大丈夫、

ちゃんと建っておられます!

参道左側の神輿庫(多分)。

「辨慶逆植之松」

いわれは・・不明です(汗)

木漏れ日が心地良い境内。

唐破風付き、八本柱で

重厚感あふれる手水舎。

清らかな水が流れ、

美しく磨き上げられた、

スマートで清楚な手水鉢。

背後の木製の格子窓が、

いい味出してます。

素敵な空間で、妻の禊は完了!

拝殿前の狛犬は無傷!

吽形も元気です!

拝殿前の「親子錨」。

この錨は昭和二十五年に

安宅浮草漁業協同組合が

奉納したもので、

案内を抜粋すると

「この錨は越前の國三國港

山王丸(三千石船)使用の

四つ足の古い型式である。

明治三十五年八月安宅沖合に

数十艘の北前船が碇泊中、

大暴風雨にあいほとんどの船は

遭難したが、山王丸の船頭はじめ

船乗等は海上遥かにこの二堂山に鎮まる

安宅住吉大明神に一心に祈願し

この船のみは危難をまぬがれた。

その後、七十年間海中に沈んでいた船を

引き上げ、奉納したものである。」

このようになります。

御社殿

拝殿前に到着し、

まずは御由緒の確認。

御祭神は住吉三神、

相殿には

少彦名命(すくなひこなのみこと)、

別雷命(わけいかづちのみこと)が祭られ、

神社は奈良時代の創建だと

記されています。

また主要宝物に

「後藤才次郎作狛犬」とあり、

後ほどネットで調べると

後藤才次郎さんは九谷焼の創始者で、

肥前(佐賀県)有田で修行したそうです。

恐らく陶磁器の狛犬なのでしょうが、

見てみたいものですね!

拝殿にて参拝。

この後、巫女さんが、

拝殿内の絵馬や資料で、

勧進帳の内容などを

詳しく説明をしてくださり、

その後、勧進帳の名場面、

義経を叩く弁慶の姿が描かれた

絵馬を購入。

そしてこの時、

「鎌倉時代の狛犬」と書かれた、

胴体と足が繋がった古いタイプの

笏谷石狛犬(多分)を発見!

ただ、写真を撮るのは

ちょっと憚られる空気感だったので、

遠慮しております。

覆屋で大切にされた本殿に参拝。

難関突破の絵馬と御朱印。

頼朝から捕縛命令が出ていた義経が、

安宅の関で疑われ、

それを逃すために弁慶が、

「お前の顔が義経に似ているから憎い!」

そう言って、

義経を叩きまくっているところが

大いに気に入りました(笑)

結局、頼朝の配下である、

関守の冨樫さんは弁慶の主君愛に感動して、

義経と知って見逃したことで、

無事奥州へと逃れています。

ここでツーショット完了。

次は境内社などを巡ります。

(続く)

 

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