彌彦神社(新潟県弥彦村)その1

 

期待値は「特大」

10年ほど前、

藤原竜也主演のドラマ

(題名は忘れた)で見て以来、

気になっていた彌彦やひこ神社。

ネットで調べると、

御社殿や境内も去ることながら、

ロープウエイ、パノラマタワー、

山頂からの海側・平野側の景色など

様々な見所があり、

この神社への期待値は「特大」でした。

しかし、こんな僕の「思い」は、

神様にとっては「重い」はず(笑)

それでも彌彦神社の神様は、

僕の「思い」に120%応えて

くれたのです。

ありがとう、神様!

祓戸神社はらえどじんじゃ

弥彦駅から車で数分走り、

彌彦神社の駐車場に到着。

遂にキター!彌彦神社だ〜!

僕も妻も大興奮(笑)

駐車場のトイレも

弥彦駅と同じく御社殿風の

入母屋造りと豪華版!

「現在地」から少し北に歩き

まずは、祓戸神社へ。

横参道左側に見えるのは、

「はらいどばし」。

正面、

行く手に見えるのは「はらいはし」。

ちょっと、

ややこしいかな?(笑)

「はらいはし」の先を右へ。

祓戸神社前に到着。

何だかいきなり「森の入り口」です。

「彌彦神社末社 祓戸神社はらえどじんじゃ

案内を書き出すと、

「御祭神 祓戸四柱の大神

瀬織津比賣神せおりつひめのかみ 速開都比賣神はやあきつひめのかみ

気吹戸主神いぶきどぬしのかみ 速佐須良比賣神はやすさらひめのかみ

祓いの神をお祀りしております。

彌彦神社の鎮魂祭にあたり、

神職一同、祓戸神社祭を斎行して

罪・穢をお祓いします。

寛徳元年(1044)勧請伝」

このようになります。

祓戸四柱というのは、

四柱の神様達が連携して、

人間の罪・穢を

「無かったこと」にしてくれる

と〜っても有難い

「神様チーム」なのです。

という事で、

しっかりと身を清める為にも

本殿参拝前に祓戸神社を拝むことを

神様達も推奨されています(笑)

推定樹齢600年の御神木

「大けやき」にご挨拶。

鳥居をくぐり境内へ。

大きな木々に囲まれ、

何だかここは異空間です。

森林浴だけでも

すでに罪・穢れが

リセットされたような、

そんな気がします(笑)

もうすぐ本殿ですが、

少し行くと、強烈な日差しが・・

祓戸四柱の皆様は、

日光消毒もしてくださいます(笑)

二の鳥居をくぐろうとしたその時、

妻の雄叫びが(笑)

「あそこだけ陽が照らしてるよ!」

そう言って

左側の石垣を指さしたのです。

石垣を寄進した人が

僕たちを呼んだのかな?

「願主 彌彦村中

奉寄進石垣 明治十四年」

このような文字が確認でき、

周囲の石垣は、「はつり仕上げ」で、

手が込んでいます。

今から140年前の彌彦村の人々の

神社への篤い崇敬の念を

感じた瞬間でした。

参拝。

これで、全部リセット完了(笑)

帰りがけに見つけた

杉とけやき(?)の合体木。

大きさの比較に妻も参加(笑)

下諏訪神社

次に同じ道筋に鎮座する下諏訪神社へ。

道路を渡り、境内に入ると

弓道場や相撲場などがありますが、

そこは今回パス。

とにかく、

彌彦神社の神域は「巨大」なので、

何を「見ないか」の選択の連続です。

「下諏訪神社」に到着。

以下、案内です。

「御祭神 建御名方命たけみなかたのみこと

力の神様をお祀りしております。

彌彦神社では毎年、

相撲節会が行われ、

上諏訪神社と隔年で力士の

土俵入りが奉納されています。

寛徳元年(1044)勧請伝」

参道。

「曽根金剛寺住 法印智海」の

文字が刻まれた燈籠は、

文化十五年(1818)の建立で、

曽根金剛寺は今でも近くにあるようです。

神仏習合時代は、

お寺からの寄進も

多かったのでしょう。

左側の燈籠。

参拝。

(続く)

 

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