敦盛そば(史跡敦盛塚前)

思無邪(しむじゃ)
史跡敦盛塚のすぐ手前に
「敦盛そば」という名の、
おそば屋さんがあります。
ちょうどお腹も減っていたし、
何よりも「敦盛」さんの名前を
冠している事に魅了され、
敦盛さんの魂を感じたいと
ここでお昼をとる事にしたのですが、
席についてから少しして、
妻が雄叫びをあげたのです。
「あっ!しむじゃだ!」
僕は聞いたこともない単語に
頭は一瞬?マークだらけに(笑)
「あれ、私が書道で書いていた文字よ!」
妻がそう言って指差した先には、
こんな掛軸が見えています
「思無邪」と書いて、
「しむじゃ」、と読むそうで、
GoogleのAIによる大意には、
「心によこしまな考えがなく、
飾りのない、
ありのままの心情を表すこと」
このように書かれ、
これは論語の言葉だそうです。
さらに、
「日常実践の禅ブログ」という
サイトを引用(コピペ)させて頂くと
また別の意味になります。
「禅は
「考えるところにおかしいところがない」
からさらに進んで
「考えない」を目指します。
何も考えないという理想は、
赤洒々といった言葉で
言い表されたりします。
赤は赤ちゃんの赤と同じで、
そのままの状態のことです。
無邪気という言葉がありますが、
つまり「何も考えないこと」
=無邪気≒思無邪と言えます。
まったくてらいのない、
ありのままの姿というのを大切にします。」
「今に集中するという点では
「じこん」という言葉もあります。
つまり禅の考える「思無邪」は、
今への集中ということでもあります。
未来を不安に思うこと、
過去にとらわれること、
これらは邪(よこしま)と
禅では考えます。」
これを読んで、
もう驚きしかありません!
理由は、
妻がこの通りに生きている人だからで、
見た目は66歳でも心は赤ん坊です(笑)
もちろん妻は、
禅の修行もした事などありません。
高校生の時に、
書道の先生が与えてくれた言葉、
「思無邪」の意味も全く気にせず、
「私はただ書いていただけ」という妻(笑)
敦盛そばを食べて
初めてその意味を知るという、
書道の先生によって張られた伏線を、
半世紀も経ってから
敦盛さんのお陰で回収できたのです。
という事で、
敦盛塚にお参りし、
敦盛そばを頂いたことは、
僕たち夫婦にとって、
ありきたり過ぎる言い方ですが、
「プライスレスな体験」
となっています。
外観
敦盛塚と敦盛そばの位置関係は、
こんな感じです。
奥に敦盛塚の五輪塔が見え、
道路に面した建物が、
「敦盛そば」で、
もはや同じ敷地と言っていいほどの
ご近所さんです。
お店の前の六地蔵。
まるで敦盛塚の露払い的な存在で、
お地蔵様達のお顔と仕草に癒されます。
本物の竹で出来た錫杖を持つ、
大きなお地蔵様。
背後には小さな布袋様も
いらっしゃいます。
お店の正面から入ろうとした瞬間、
店の右奥を指さして、
妻が雄叫びを!
「あれ、源平よ!」
源氏の笹竜胆と平家の揚羽蝶の家紋、
テンション上がりますね!
店内
食券を買いテーブルへ。
僕の席から外を撮影。
少しして満員に近い状態となり
角の空席もすぐ埋まってしまいました。
敦盛そば到着!
僕、食べる(笑)
妻も食べる!
その視線の先にあるのが・・・
「思無邪」!!
まさか、敦盛そばで、
こんな思い出ができるとは、
旅って本当にスゴイ!!
本日の振り返り
50年前の伏線を回収した
「記念」という事で、
家に帰って妻に「思無邪」を
書いてもらいました。
お〜「思無邪」だ〜(笑)