粟鹿神社(兵庫県朝来市)
神社名の由来
Wikipediaによると
「粟鹿(あわが)とは、
鹿が粟を三束くわえて
山(粟鹿山)から現れ、
人々に農耕を教えたことからつけられ、
粟鹿神社にその鹿が
祀られていると言う。」
このように書かれています。
粟鹿山の麓に鎮座している
粟鹿神社にはふさわしい由来ですね。
勅使門
広い駐車場に車を置くと
すぐ目の前には社叢が広がり、
平坦な参道が、
その木々の奥に続いています。
社頭。
自然石の社号標は、
この地方では定番のようですね。
右が勅使門、
白壁を挟んで左が随神門。
勅使門の案内。
勅使の参向は四回あったそうで、
創建年代は不詳と書かれていますが、
Wikipediaでは、
「弘安4年(1281年)、
蒙古襲来に際し、
当社に勅使卜部兼直を遣わし
祈願した際に勅使門が建立される。
この勅使門は、
応仁の乱の兵火で社殿が消失した際
唯一焼亡を免れたとされ、
それ以前から残る唯一の
建物とされている。」
このような説明になっていて、
応仁の乱以前のものであれば、
600年ほど前に
建てられている事になります。
勅使門の前には盛り土が成され
大切にされています。
ここへ来る前に参拝した赤淵神社にも
江戸時代建立の勅使門がありましたが、
この辺りは京都に近いという立地もあって、
勅使の参向も地方に比べると多く、
そのおもてなしの為、
特別に勅使門を建て、
準備されていたのかも知れません。
随神門
勅使門から少し奥へ行くと、
一般の人が通行出来る
随神門があります。
随神門全景。
随神倚像についての案内。
随神門自体の説明はありませんが、
阿吽の随神様は、江戸時代前期に
作られたもののようです。
阿形。
吽形。
そして、随神さんの裏側には、
木造狛犬がいらっしゃいます。
木造狛犬の案内。
銘文は無いものの、
江戸時代前期の作品と
推定されていますので、
随神様と同時期に
安置されたのかも知れません。
阿形。
大迫力のお顔。
木の腐食や虫食いもなく、
ほぼ完全な姿を留めていますね!
吽形。
こちらも着色は剥げているものの
ほぼ完全な姿で残っています。
阿形真横。
吽形真横。
本殿
随神門をくぐり本殿へ。
手水舎。
拝殿前。
大きさを比較すると、
意外に大きな狛犬です。
左側が吽形。
参拝。
拝殿右から本殿へと周ります。
本殿。
左が本殿、右が拝殿。
本殿裏側には円墳のような
小山がありますが、
ここに古墳についてなどの
説明は見当たりません。
拝殿と桜と僕たち(笑)
境内社
粟鹿神社の境内社も
古いものがいくつも残り、
時間が経つのも
忘れてしまいそうです。
砲弾の向こうには天満宮。
天満宮のエントランス。
本殿の古さに萌え(笑)
天満宮前から境内を臨む。
厳島神社。
床浦神社。
茗荷神社。
茗荷(みょうが)とは、
初めて見る名前ですね!
「粟鹿神社の神紋抱き茗荷は
境内にこの末社を祀るによる」
このように案内されています。
石垣で囲われた
小さな池の上に鎮座しています。
稲荷神社の入り口。
この時、僕たちは
階段を登って参拝する気力が無く、
ここから参拝しました。
本殿向かって右側に鎮座する
猿田彦神社(庚申社)。
中には古い社殿が納められています。
なかなか渋くて魅力的なのですが、
その横に立つ木像の神馬が、
あまりにもインパクトが有りすぎて、
主客転倒の様相を呈しています(笑)
満身創痍ながらも
猿田彦大神を守る神馬。
いや、守られているのかな(笑)
御神木
境内に入るその横に
目立つ案内があったのが、
御神木です。
こんなにご神木をフューチャーした
案内はなかなか珍しいかも?
御神木の杉。
その下には、
何故か風呂釜が置いてあります(笑)
今日の何だろな?
一の鳥居をくぐってすぐ右側に
こんなものが置いてあります。
右の二つは鳥居の部品でしょうが、
左の二つは何でしょうか?
ひょっとすると、赤淵神社で見た、
こちらのものと関係するかも・・・
かなり似ていますね!
しかし、
コンクリ製っぽいし、
三重塔心柱礎石では
無さそうかな・・・。
やはり鳥居の部品でしょうか(笑)