2023/02/02

綾城(宮崎県綾町)後編

 

突破ゲーム

難関を突破したものだけが

その後も生き残れる(繁栄できる)。

これって、

人間の普遍的な摂理でしょう。

そんなお手本のようなものが、

戦国時代に一瞬の判断と、

勇気の有る無しで運命が決まった、

多くの武将や家臣たちです。

特に、綾城の城内で紹介された

伊東家とその周囲の盛衰を知ると、

人生は突破ゲーム(笑)なんだと

改めて納得させられます。

天守内部

天守建物の外観を堪能した後、

天守内部へ。

綾町広域のジオラマと映像。

内部も木材全開、

椅子までもが木株なんですね!

綾城の縄張りジオラマ。

これを設置してくださったお陰で、

綾城の全貌は、一目瞭然、

攻撃側の戦国武将ならば、

高いお金を払って買ってくれそうです(笑)

甲冑などの展示。

綾城の歴史と歴代城主。

武将の人形。

左から、伊東義祐、

佐土原遠江守、田中國廣。

これは、

突破ゲームに参加する前の

大切な打ち合わせの場面です。

シーンの説明。

「都於郡城主、三位入道義祐は、

野尻城主などの謀反により

島津に追われる身となり、

天正5年(1577)

豊後に落ち延びることとなる。

義祐を城内に迎え入れた

綾城主佐土原遠江守と

田中國廣(国広)は

島津の追手から身を守る算段をととのえ、

その策を義祐に進言するのであった。」

義祐さんが、豊後に逃げ、

その後、秀吉の配下として

島津氏の降伏に貢献し、

飫肥城主に復活、

江戸時代には飫肥藩主として、

明治維新を迎えたことは知っていますが、

ここで、田中さんという

はじめて聞く人物が、

実は凄い人だったことを知りました。

「國廣と伊東マンショ」

突破ゲームの打ち合わせをしていた

田中さんにまつわるもので、

案内を書き出すと

以下になります。

「「綾の刀鍛冶・國廣は学問もある」と

耳にした領主・伊東三位入道義祐は、

國廣を綾城に召し、

孫の満千代(伊東マンショ)の

侍臣として仕えさせました。

伊東氏が没落し、

米良山を経て豊後に落ちるとき、

國廣は、当時8才の満千代を

背負って険しい山坂を越え、

島津の追手が迫ると身をもってかばい、

無事に逃げのびました。

のちに満千代は、

キリスト教の洗礼を受け、

やがて少年使節としてローマへ渡り、

法王に謁見しています。」

ジオラマでは右端に、

満千代を背負った

田中さんがいます。(見えるか?汗)

田中國廣さんの忠臣ぶり、

まさに武士の鏡と言えるでしょう。

別の案内によると

豊後までの突破成功後、

刀鍛冶として大成功をおさめ、

現在も国指定重要文化財の刀剣が

多数、存在しているようです。

伊東マンショ(満千代)も

突破し、生き延びた結果、

豊後のキリシタン大名、大友宗麟のもと、

キリシタンになり、

「天正遣欧少年使節」のメンバーとして、

教科書に載る有名人(笑)までに

なったのでしょう。

いずれも、

伊東氏の没落があって、

しかもそれを乗り切ったからこそ

劇的な人生を歩むことになったのです。

先述したように伊東氏も、

没落から復活していますから、

あきらめない心の大切さを知る

お手本のような出来事ですね。

「綾城悲話」

豊後への突破劇を遡ること約70年、

義祐さんのお祖父さん、

「伊東尹祐ただすけ」がの行動が発端となった、

「権力者あるある」の事件です。

簡単に説明すると

尹祐は侍女との間に出来た子を

嫡男(後継ぎ)とする旨、

2人の家老に承認を得たが、

その後、綺麗で若い女性との間に

男子が生まれたので、

「やっぱ、こっちを後継ぎにするね!」

こう言ったことで、

家老たちは「約束が違う」と反対、

しかし、殿様の権力で、

家老を追い詰め、綾城にて、

家老2人の一族は皆切腹・・・。」

こうなります。

ただ、「綺麗で若い女性」が生んだ子供の

その子供(尹祐の孫)の義祐が、

最終的に飫肥藩主となったので、

尹祐さんの判断は、

結果オーライだったのかも知れません。

「綾城悲話

切腹者の供養碑」

案内を書き出すと、

「綾の乱において切腹して果てた

長倉一族、及び垂水一族15人の

霊をなぐさめた供養碑の拓本です。

碑は宮崎郡・清武城祉にあります。」

このようになります。

拓本の左端に、

「大永四年(1524)七月十三日」と

刻まれています。

Wikipediaによれば、

尹祐さんが亡くなったのが

この前年の大永三年ですから

悲劇が起きた永正七年(1510)から

当事者の死を待って、

供養碑が建立されたのでしょう。

次に2階へ。

柱は、樹齢280年の栂(つが)で、

かなりの巨木を使用しています。

現存天守と同じく、

梯子のような急階段。

3階。

天井には上棟式で使われた

縁起物が配置されていて、

雰囲気を盛り上げてくれます!

景観その1。

景観その2。

こちらには、古墳っぽいものが!

後ほどこの頂上から

逆に綾城を撮ったのが、

こちらです。

いい感じ!

ズームで撮ると、

さらに「砦感」が増しています!

正面の木橋と冠木門方面。

天守正面で、ツーショット完了。

これにて天守の散策は完了です。

 

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