綾城(宮崎県綾町)前編
迎合しない素晴らしさ
史実として、天守(天守閣)が、
実際には存在しなかったお城に
観光用に天守的な形をした
構造物(模擬天守)を建てる場合、
「観光客の利便性」を考えるもので、
ある意味、「客に迎合」するのは、
当たり前の事ですが、
ここ綾城には、
そんな思想とは真逆のものを感じます。
建物自体が、
鉄筋コンクリートではなく木造で、
石垣は戦国時代と同じく、
自然石を加工せずに積み上げる、
「野面積み」へのこだわりがあり、
見た目は超無骨、
(逆にこれが良いのだが)
内部構造も、
400年以上前の天守と同じで、
階段は、まるで「ハシゴ」。
上り下りも一苦労。
しかも
国宝の現存天守のように
「土足厳禁」でスリッパに履き替える
面倒くささもあります(笑)
「地元にこんなお城を造りたい!」と、
熱い思いを込めた結果、
他には類を見ないほどの
魅力的な模擬天守が
出来上がったのでしょう!
天守へ
天守内部のジオラマで、
この城の構造を知る事ができます。
河岸段丘の先端部に造られた
連郭式山城で、駐車場は
4郭(一番上の大きな平面)に
位置しています。
4郭の駐車場。
堀切の上を木橋で3郭へ。
冠木門がある入城口。
ここで入城料を支払います。
案内図。
これ、見ただけで、
温かみ満載ですね。
各トイレごとには
和式・洋式・多目的などの
表記が成され、
樹木の種類まであります。
案内図には
「多目的トイレあり」と記されている
清潔そのものの真新しいトイレ。
なんとトイレの前は、石庭ですよ。
綾町さん、気合入ってますな~!
やはり「観光地はトイレが命」、
お陰で、僕も気持ちよ~く、
超スッキリさせていただきました(笑)
次に2郭へ。
門を入って左側の
「綾陽校記念館」
案内には、
「明治21年に建築された
綾小学校の校舎を
当時のままの姿で移転し
永く顕彰保存するものです。」
このように書かれています。
「顕彰保存」・・・
素敵な言葉です。
こちらは木造のお城と
コーディネートした「工芸館」。
古い井戸。
陶芸用の窯。
1郭への木橋。
ここも堀切の上を渡っています。
お~あった~!
初期望楼型というのか、
素晴らしい木造天守です。
岐阜県の犬山城を参考にして、
それを「素朴にアレンジ」したような
何とも言えず、「戦国の無骨さ」を
感じさせてくれますね!
斜めから。
物見櫓風の望楼が渋いな~!
案内を要約すると
以下になります。
「綾城は、元弘年間
足利尊氏の家臣、
細川小四郎義門が
この地方に下向し、
その子、義遠が綾氏と称し、
築城したと伝えられている。
その後、
伊東氏の居城として、
伊東48城のひとつとなる。
天正五年(1577)
伊東氏が島津氏に敗れ、
島津氏の配下となった。
この綾城構築にあたっては、
日本城郭協会の中世山城の考察に基づき
町内の職人達が、
綾町に自生する木材を使い、
苦心を重ねて完成したものである。」
なるほど~、
地元、綾町で全て完結した城なんだ~!
だからこそ、人々の魂がこもった、
「お城愛」がビシバシ
伝わって来たのですね!
やっぱ、「心」って大切だ~(笑)
(後編に続く)