赤穂大石神社(兵庫県赤穂市)後編

 

御朱印

ここ数年、

御朱印は、書き置きや

コピー(印刷)が増え、

コロナ禍での諸事情は理解できるものの

御朱印はその時の気分次第で、

授与いただくか否かを決めるようになり、

御朱印への思いは下降気味でした・・

そんな中、

僕の気持ちを

大いにアゲてくれたのが、

赤穂大石神社の御朱印です。

社務所に御朱印帳を預け、

待つこと数分、

手渡されたのが、

こちらです。

素晴らしい!

達筆で、元気一杯な文字だし、

金色に光る「大願成就」の印も

テンション上げてくれます。

参拝前に

手水舎の近くには、

前編で書いた大石内蔵助の銅像他、

いくつかのイベントがありますので、

そちらを先に巡り、

参拝することに。

「浅野家 大坂蔵屋敷の舟石」

以下案内を要約します。

「浅野家蔵屋敷の庭にあったもので、

長さ3m、巾1m、

重さ2トンの花崗岩の一枚岩である。」

2トンは普通車2台分ですよ!

立派なものです。

「義士発祥の地」碑。

総理大臣だった田中角榮さんの書ですが、

僕たち世代なら有名人でも、

今の人には誰かわからないかな?(笑)

「癒しの音色 心響石」

以下、案内を書き出します。

「この心響石は四国高松市の西で産出し、

ドイツの地質学者バインシェンクにより

讃岐岩質安山岩「サヌカイト」と

命名されている

当社では心に響く美しい音色から

「心響石」と名付け、

参拝の皆様がこの石を

叩くことにより

心を癒していただければ幸いです。」

叩いてみると、

予想以上の美しい音がします。

間違いなく「心に響く美しい音色」、

癒されました〜!

十二支えと石像。

僕たち二人の干支、亥。

夫婦ともども

あとさき見ないのは

間違いないかな(笑)

御社殿

参拝前だけで、

既にお腹いっぱいになる程

楽しませていただいた僕たち、

ようやく参拝へ。

両脇は注連縄柱でしょうか、

大石内蔵助の家紋が入っています。

拝殿へ。

右奥には赤穂城の

大手隅櫓が見えていますね。

拝殿。

拝殿前の狛犬は

東大寺南大門

日本最古の狛犬(中国獅子)に

そっくりなデザインです。

獅子なので左右ともに阿形ですね。

大願成就・心願成就の祈祷木。

拝殿で参拝後、本殿へ。

本殿に参拝。

本殿真裏の門扉には、

浅野家と大石家の家紋が

あしらわれています。

左側の案内は、

「浅野家違い鷹ノ羽紋

浅野内匠頭長矩のかもんは

「丸に譜入り違い鷹ノ羽」で

左羽根が右羽根に襷に重なり

羽根に虫喰いのような点々があるので

「虫喰い鷹」ともいう」

右側は、

「大石家二ツ巴紋

大石内蔵助良雄の家紋は

「右廻り二ツ巴」で

水の渦の膨らみが

上下向あっているのが正しい。

「左廻離」のも多くみうけるが

間違いである。」

家紋通の方が書かれたのか、

かなり「突っ込んだ」とこまで

詳しく案内されていますね!

本殿を囲む玉垣には、

「忠臣蔵ものがたり」として

絵馬による忠臣蔵の一部始終が

紹介されています。

その一部を抜粋すると・・・

最初の一枚。

これらは播州信用金庫さんの奉納で、

「忠臣蔵の有名場面を絵馬型絵巻とした」

このように書かれています。

松の廊下の刃傷。

有名な「殿中でござる」の場面。

大石内蔵助が

仇討ちなど微塵も

考えてもいないように見せかける為、

芸者と遊び呆けている場面。

敵を欺くにはまず味方から・・・

これが大願成就の必須の法則かも?

吉良邸に討ち入って2時間後、

炭小屋に隠れていた

吉良上野介を見つけた場面。

ここに赤穂浪士は本懐をとげたのです。

「勅使差遣と神社創建」

案内を超訳すると

以下になります。

「明治時代になり、

泉岳寺の墓前に

天皇の勅使が遣わされ、

金幣を賜ったのを機会に、

神社創建の議が起り、

明治三十三年創立認可され、

大石神社は、

赤穂城三の丸に鎮座した。」

こんな素晴らしい絵馬を奉納された

播州信用金庫さん、

素晴らしいと思います。

こちらは神社参拝後に

昼食をとった元禄茶屋でいただいた

この絵馬全てが掲載された

パンフレットです。

忠臣蔵をあまり知らない人にも、

これがあれば完璧ですね!

境内社など

まずは拝殿横の義士資料館です。

ここには時間が割けないので、

外観のみを拝見し境内社へ。

境内社合祀殿。

これは立派ですね!

詳しい案内。

ここでの注目の一つは八田社で、

案内を書き出すと

「塩田の守護神

赤穂塩田の大地主、

八田四郎右衛門が

安芸の宮島から

厳島大明神を勧請してお祭りした社」

このようになります。

「塩田の町赤穂」ならではの神様ですね。

もう一つは、山鹿神社で、

こちらは別に詳しい案内もあります。

軍学者であり儒学者の

山鹿素行さんを祀っていて、

合祀の経緯なども

詳しく書かれているのは、

素行さんと赤穂藩とのご縁が

特別に深いからでしょう。

さらに山鹿素行の代表作、

「中朝事実」は赤穂で書かれ、

その影響は多岐に渡ったというのが、

赤穂の誇りなのかも知れませんね。

拝殿前にてツーショット。

帰りは横参道から出て一礼。

赤穂大石神社、

心に響く素晴らしい神社でした。

 

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