城とまちミュージアム(愛知県犬山市)

 

  • 明智兼光

城とまちミュージアムでは、

「明知兼光と長久手合戦」

と銘打った企画展があっていて、

「へ~明智光秀の親戚の人?」

そんなことを思い入ってみると

明知兼光とは人の名前ではなく、

刀の事でした(笑)

展示の案内によると、

明智光秀から徳川家康に渡り、

その後、

小牧長久手の戦いで戦功あった

成瀬正成が家康から賜った

備前長船の名刀です。

その名刀は撮影不可なので、

写真は撮っていませんが、

明知光秀が目の前にいるような、

何だか不思議な気持ちになれました。

館内へ

犬山城の後は、城下町へ。

エントランス。

ここでのメインは会場の真ん中にある

犬山城と城下のジオラマです。

このジオラマ、

「天保十一年(1840年)

旧暦8月28日犬山祭本楽の日」

とピンポイントなのですよ!

「犬山城はこんな感じ」ではなく

「この日の犬山城はこれです!」

こんな思いが伝わってくる

素晴らしい設定ですね。

東側から見た犬山城と城下町。

北側、木曽川方面から。

南側から。

犬山湊の説明。

昔の針綱神社。

城下町の紹介パネル。

犬山城の紹介パネル。

江戸時代の城主、

成瀬家の紹介特大パネル。

「成瀬隼人正鷹場」石柱。

長篠合戦図。

小牧・長久手合戦図。

戦いの状況がよくわかります。

この合戦で功績を上げたのが、

冒頭に書いた、

犬山城初代藩主、成瀬正成。

Wikipediaには、

「天正12年(1584年)には

小牧・長久手の戦いで

小姓組に属して初陣し、

勇敢に敵陣に飛び込み

兜首ひとつを挙げ、

この功積により家康より

500石と脇差を賜る。」

と「脇差」とサラッと書かれていますが、

これが「明知兼光」という名刀でしょう。

まさか、犬山城でまで、

明智光秀と関わることになるとは、

思いもしませんでしたが、

印象に残ったものがもう一つ。

「豊臣秀吉所有の風呂道具一式」

これが素晴らしいのです!

これも撮影不可なので、

写真はありませんが、

人(秀吉?)が入れる黒塗りの特大桶と

その他大小の桶のセットです。

戦場で風呂に入れるようにと

携帯していたのでしょうか。

山崎の合戦の敗者と勝者の持ち物を

同時に見られるとは、

成瀬家の家宝、最強ですね!

 

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