千葉城(佐賀県小城市)

 

ルーツは千葉県

千葉城と聞いて、

千葉県を想像していたら

本当に千葉県あっての千葉城でした(笑)

Wikipediaによると

千葉県の豪族だった千葉氏は、

平安時代末期

平清盛全盛の平家から虐められていたところ

源頼朝が平氏追討の兵を挙げ、

これは仕返しのチャンスとばかり頼朝を助け、

鎌倉幕府成立の立役者かどうかは別として、

幕府成立後には多くの褒美(所領)をもらい

関東以外にもこの小城市周辺も

所領として与えられたことから

千葉氏は佐賀県にやってきて、

居城を千葉城としました。

実際の千葉城にある案内板には

元寇の時に関東から来た千葉氏が、

ここに土着したと書かれていますので、

見解は少し違うようですが、

どちらが正しいにしろ

「千葉県の千葉氏」で間違いないようです。

千葉城へ

城山と呼ばれる牛頭山は

東側から高い順に

大の山、中の山、小の山の

三つの峰から構成され、

これがお城の縄張りとなっていました。

本丸があった山は、一番東側の

大の山と呼ばれる

標高130mほどの場所ですが、

今回僕たちが巡ったのは、

公園として整備された中の山、

須賀神社の境内となった小の山、

この二箇所でした。

一番高い所に行かなかったのは、

時間がなかったのではなく、

体力と気力が無くなったからです(笑)

体力と気力と書くとどうしても思い出すのが、

横綱千代の富士引退時の言葉。

「体力の限界・・・気力も無くなり

引退する事になりました」

・・・僕はまだ引退出来ませんが(笑)

小の山に鎮座する須賀神社と

中の山を整備した千葉公園案内図。

僕たちは左の階段で須賀神社に上り、

そこから右に歩いて千葉公園展望台を目指し、

遊歩道を経由して戻るコースにしました。

この分かりやすい案内のお陰で、

安心して散策が出来

看板設置者にはホント感謝です。

小の山

須賀神社が鎮座する小の山は

標高約90mと

僕たちでも比較的登りやすい山です。

祇園川にかかる橋を渡り、

須賀神社境内から山登りというか、

階段上りとなります。

須賀神社の急階段。

息切れしながらも頂上へ。

本殿の横手はあまり人は

来ない場所のようですが、

ここでお城の遺構を発見。

石積みです。

これは相当古いものだと推定出来ます。

崩れかかっていますが、

しっかりと石積みは遺されていました。

中の山

展望台があるのが、

中の山です。

須賀神社からは10分ほどの距離。

展望台下には、

「千葉城址」の石碑(左側)と

文言が削り取られた石碑の

二つが並んでいます。

削られた理由は・・・

おそらくGHQの命令か、

GHQへの配慮でしょう・・・

「文字が削られた」石碑は、

日本の各地で見られ、

戦後、サンフランシスコ講和条約まで、

日本が独立国では無かった時代を

思い起こさせます・・・

千葉城の歴史。

これを読んで、絵を見たら

ここがどんなお城だったのか

一目瞭然という素晴らしい案内です。

展望台。

展望台からの南側の景色は、

有明海までもが見えます。

西側の景色。

明治天皇の御製の石碑。

こちらは削られていませんが、

何が書かれているのかは

僕の知識では理解できず・・・(汗)

千葉公園の駐車場側の出入り口。

ここからは遊歩道で麓へと戻ります。

城の名残なのでしょうか・・・

判明は出来ませんが・・・

今回、先述のように、

体力の限界、気力も無くなり(笑)

主郭の大の山には行きませんでしたが、

これにて、千葉城の散策は完了です。

今日の注目

遊歩道の数カ所で見かけた蛇口。

蛇口をひねると水が出ました!

ダミーではないようです(笑)

防火設備の一環なのか、

それとも夏場、お城散策をする人の

水分補給のためでしょうか?

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください