2018/03/07
鎮国寺(福岡県宗像市)
空海と黒田忠之のホットな関係
弘法大師の名で有名な空海。
806年というから今より1200年前、
空海は、唐で20年の修行予定を
わずか2年で切り上げ帰国し、
宗像大社に帰国のお礼の参拝をした時、
瑞雲が見えた山に作ったのが
今の鎮国寺です。
お坊さんが、普通に神社にお礼参りなんて、
昔は神社とお寺がそんな仲だったのかと
何だか不思議な感じもします。
そして、時は流れ戦国時代、
ここ鎮国寺は大友軍に
焼き払われてしまいました(悲)
その無惨な姿の鎮国寺を今の姿に
復活させたのが、
藩祖黒田長政の息子、黒田忠之です。
黒田忠之という殿様、家臣から
謀反の兆候ありと幕府に讒言され、
ひともんちゃくあった
黒田騒動の主人公です。
この騒動で一瞬ですが、
黒田家は改易(取り潰し)されています。
そんな騒動の中心人物だった黒田忠之は
戦も知らず、金持ちの家でぬくぬくと育った
ただの放蕩息子のように思えるのですが、
実はそんじょそこらの放蕩息子では
ありませんでした。
その黒田忠之知の大きな功績の一つが、
この鎮国寺を再建したことなのです!
ただのバカ息子じゃなかったとですたい!
その再建された本堂は
改修を繰り返しながらも
今でも立派に現役です。
放蕩息子の、いや黒田忠之の功績を
もう一つ。
福岡県糸島市の二見が浦でも有名な
櫻井神社も創建しています。
櫻井神社の境内地にある二見が浦。
こちらは櫻井神社の楼門です。
やんちゃ坊主も信心深かったのですね!
鎮国寺へ
宗像大社から車で5分ほどで
鎮国寺の入口です。
僕たちは頂上の大駐車場に一旦
車をとめて、階段を下りて、
改めて正面から入るという
常套手段を使いました(笑)
ここから本堂を目指します。
参道の傍らには、
江戸時代位からありそうな
石像の仏様が見守っています。
山門。
階段はまだまだ続きます。
「別格本山 鎮国寺」の石柱。
階段を上り切ると広々した境内に出ます。
そして、僕たちが見上げた空は…
なんだ〜こりゃ〜
素晴らしい〜!
抜けるような雲と、青空のコントラストが
寺院を覆っていますね!
空海が宗像大社からこの山の上に見た
「瑞雲」と同じものかも知れませんよ!!
僕たち空海さんに歓迎されているみたい(笑)
そんな空に感動たあとは、
本堂にお参りします。
が、しかし…
後から知ったのですが、この大きな建物は
本堂ではなく、護摩堂でした(大汗)
400年近く前に再建されたにしては、
コンクリートっぽいし、現代的だな〜っと
心では思っていましたが、
やっぱりそうだったのか〜。
本堂の鐘、いや護摩堂の鐘(笑)
「やさしくたたいて下さい」という文字が。
きっと僕みたいに?力任せに
叩きまくる人がいるのでしょう(笑)
そして、こちらが本物の(笑)本堂。
やはり歴史を感じさせる建物ですね!
この写真を撮ったときは、本堂の
付属品的に思ってた僕ですが、
いい加減な物です(汗)
文化財もたくさんあります。
紅葉もまだ見る事ができました。
大師堂。
大師堂の裏側は素敵な庭園となっています。
妻と紅葉、どっちが綺麗?
もちろん妻ですよ!
大師堂の浦には石像の仏様が
見守ってくれています。
滝。
山の上にある奥の院に
入口です。
この階段を奥の院まで上る気力が無く
写真だけ撮りました(笑)
その後、境内を散策。
ぼけ封じ観音に
ぼけないように祈りましたが、
時すでに遅しかも?(笑)
文殊堂。
学問の仏様ですね。
そして、鎮国寺名物。
昔このあたりに住んでいた人物の石像ですが、
いったい何が名物なのかというと、
これです!
右足は下駄、左足は草履を履いています。
心優しい青年は、下駄をはいていけ、
いや草履をはいていけと
両親の意見が分かれた時、
このような姿で出かけたそうです。
さぞあるきにくかったことでしょう(笑)
境内から見た景色。
木々が生い茂っていますが、
少し田園風景も見えますね。
駐車場からの入口に立つ仁王像の[阿」
吽形の仁王像。
こんなものまであります!
僕たちは、この言いつけを
ちゃ〜んと守りました(笑)
鎮国寺、本堂と護摩堂を間違って
お参りしてしまった僕たちは、
今度は「本物の本堂」(笑)に
改めて「間違ってごめんちゃい参拝」を
しないと空海さんに怒られそうですね。
いつか、きっと行きます!
多分、行きます。
恐らく、行くでしょう…
行くかも知れません(それダメ〜!)(笑)
今日の癒し
駐車場からの境内入り口にあった
無人販売所に癒されました!
妻は大好きなみかんを購入。
もちろん無人だからといって
持ち逃げはしていませんから
どうかご安心を(笑)