千束八幡神社(福岡県豊前市)

 

旭城跡に建つ神社

旭城の跡に建立された

千束(ちずか)八幡神社、

神社の境内にある案内板の表題も

お城の名前で出ています。

「旭城跡」

案内を超訳・加筆すると

「豊前国小倉藩は、

慶応二年(1866)

小倉戦争(第二次長州征伐)で

長州藩に負け、

小倉城を追われ、香春藩となり、

さらに移転し豊津を藩庁とした。

支藩(分家)であった

千束藩1万石の藩主、小笠原貞正も

明治二年、ここに旭城を築城し、

明治三年十月に完成。

しかし完成後間もない、

明治四年、廃城となった。

その後、明治十三年、

旭城跡地に千束神社を建立、

更に大正五年、

塔田の御霊神社と

野田の八幡神社を合祀して、

千束八幡神社と改称して現在に至る。」

このようになります。

社頭

神社正面と東側の側面は、

遺構として今も残る、

城跡の石垣で囲まれています。

藩主の御殿(政庁)があった場所は、

150年近い歴史の中、

木々は成長し、

今は鎮守の森に変わっています。

「御霊神社」と書かれた神額。

合祀された神社の鳥居を

神額もそのままにして配置したのは、

恐らく、

合祀された側(神社が無くなった側)の

喪失感を埋め合わせる意味も

含まれての事かと推測されます。

御社殿

鳥居をくぐると

旭城の石垣に挟まれた石段で、

御社殿へと向かいます。

藩庁時代(旭城時代)、

にここが石段だったのか、

石垣で閉ざされていたのかは、

わかりません・・・。

注連縄柱の先に

拝殿が見えて来ました。

手水舎。

拝殿へ。

参拝。

瓦には小笠原家の家紋、

三階菱があしらわれています。

拝殿から本殿方面へ。

ここでは、本殿へも直接参拝が

可能となっています。

豊前地方の神社には、

拝殿と本殿が離れたタイプが

比較的多いのですが、

回廊までが設えられているのは、

少し珍しいかも知れません。

改めて本殿に参拝。

本殿向かって左側面。

反対側から回廊と本殿を撮影。

やっぱり、あります(笑)

三階菱!

境内社に参拝。

最後はツーショットで〆。

今日の鳥居

帰りがけに気付いたのが、

横参道入口に建つ小さな鳥居です。

柱には、安永八己亥の

文字が刻まれています。

西暦だと1779年ですから、

冒頭に書いた合祀された二つの神社の

どちらの鳥居と思われます。

神額の文字が風化して、

薄くなていますが、

「八幡宮」と書かれているようですので、

合祀された野田の八幡神社のものを

移設されたのでしょう。

本参道の「御霊神社」、

横参道の「八幡宮」、

この二基の鳥居によって、

今は目には見えない、

合祀された神社の存在も、

感じる事が出来ました。

鳥居を移設された方々に

心から感謝です!

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください