佐毘売山神社(石見銀山)

 

ラッキーな巡り合わせ

石見銀山公園駐車場から

龍源寺間歩までのガイドツアーは、

往路だけでなく、

復路もガイドさんと一緒に

案内を受けながら帰るという

選択肢もあるのですが、

僕たちはじっくり見たい場所が、

沢山あったため、

佐毘売山さひめやま神社の前でガイドさんと、

一緒に散策した関西女子3人組とはお別れ。

ワンコインガイドのブログでも

少し書きましたが、

「じっくり話を聞く派」の

女子3人組がいてくれたお陰で、

僕はガイドさんの話を

チョコチョコ聞きつつも

写真を撮ったり、

ちょっとコースを外れたりしながら

ガイドさんに気兼ねせず(笑)

思い切り自由に行動できたこと、

今思ってもかなりラッキーでした。

ありがとう!

関西女子3人組の皆さん!

神社へ

ここで改めて場所の確認を。

マップ、銀山ゾーン左端の『C」

龍源寺間歩りゅうげんじまぶから

折り返し散策しながら「B」の

石見銀山公園へと向かうのが

今回のコースです。

龍源寺間歩を出て

少し行ったところにある

五輪塔、仏様、お墓?に遥拝。

確かガイドさんが

説明してくれたのですが、

これが何だったかは

今は全く覚えていません(汗)

栃畑谷とちはただに昆布山谷こぶやまだに」の案内。

冒頭部分を抜粋すると

以下になります。

「この説明板の左手、

少し高くなった場所に

鉱山の神である金山彦命かなやまひこのみことを祀る

佐毘売山さひめやま神社があります。

参道から佐毘売山神社に向かって

左側の谷が出土谷だしつちだに

右側の谷が昆布山谷で、

現在地を含めて、

龍源寺間歩出口前の川に沿った

この谷一帯が栃畑谷です。

どの谷も銀山開発に伴って造成した

平坦地が階段状に連なり、

石垣や井戸、間歩(坑道)が

見つかっています。」

佐毘売山神社に向かって左側、

出土谷の石垣や段々になった平坦地。

江戸時代の遺構がしっかりと

残っているんですね!

ちょっと感動です。

ここがガイドさんたちとのお別れの場。

参道=石段。

「国指定史跡 石見銀山遺跡

佐毘売山神社さひめやまじんじゃ

案内を書き出すと

以下になります。

「この祭神は、

鉱山の守り神である金山彦神で、

別名では「山神社さんじんじゃ」といい、

鉱夫や村人からは、

山神さんじんさん」と呼ばれ

親しまれていました。

永享六年(1434)室町幕府の命によって

周防国(山口県)守護大内氏が

現在の島根県益田市から

分霊を移し祀ったとも伝えられており、

戦国時代には銀山を領有した

大内氏、尼子氏、毛利氏などに崇敬され、

江戸時代には

幕府の初代石見銀山奉行として赴任した

大久保石見守長安などに手厚く保護され、

毎年正月十日には

銀山の繁栄を祈願しました。

社殿は文政元年(1818)の

大火で焼失しましたが、

翌年には代官所の援助を得て

本殿、幣殿、拝殿、神楽殿などが再建され、

特に拝殿の重層屋根は

天領特有なものとされています。」

鉱山の守り神、金山彦神と言えば、

僕たちは、

石見銀山に旅する二ヶ月ほど前、

金山彦神の総本宮である

岐阜県の南宮大社に参拝していました。

もしかすると

南宮大社の金山彦大神が

ここに導いて下さったのかも

知れません!

階段の傾きが、

歴史を感じさせてくれ、

いい雰囲気です。

盃状穴(はいじょうけつ)かな?

一の鳥居と狛犬。

立派な拝殿。

そしてお手水へ。

いや〜これはたまらん!

癒されますな〜亀ちゃんに(笑)

亀ちゃんアップ。

開いたお口に

さらなる癒しをいただけます。

亀ちゃんのヨダレ(笑)で

お手水は完了。

亀ちゃんを俯瞰。

こんな素敵な手水鉢、

いったい誰が考えたんでしょうか?

拝殿左右に配置されたお社。

こちらは右側です。

左側。

参拝後、拝殿前から振り返ると

毛利氏や尼子氏が領有を争った

山吹山城が見えています。

本殿にも参拝。

ツーショットで参拝は完了です。

 

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