大安禅寺(福井市)越前松平家廟所

 

藩主の予感・・

大安禅寺は、

前身だった泰澄開基の寺が、

織田信長の越前侵攻で焼失し、

廃寺になった後、

江戸時代初期、第四代福井藩主、

松平光通公により、

松平家永代菩提所として建立されています。

Wikipediaによると

松平光通公は、

家同士の問題で、

男児を産めない事に

責任を感じた妻の自殺や

息子の出奔などもあり

39歳で自殺しています。

まるで、

自分の死を予感したかのような

菩提所建立だったのですね・・・

そして、350年後の現在

自身の建てたお寺の

繁栄をご覧になられたら

光通公のお慶びは、

一入(ひとしお)かも知れません・・

廟所(千畳敷)への参道

本堂参拝にさきがけて、

まずはお墓参りへ。

広大な駐車場。

拝観入口。

廟所「千畳敷」の案内が

僕たちを迎えてくれます。

案内には、

「大安禅寺境内の山中には、

福井藩・越前松平家の永代廟所があり、

初代結城秀康をはじめ

歴代藩主の墓が整然と並びます。

足元には笏谷石しゃくだにいし1,360枚が

敷き詰められており、

そこから通称「千畳敷」と

呼ばれるようになりました。

周囲を囲む石柵、門扉にいたるまで

いずれも青みがかった笏谷石が使われ、

静寂さの中に荘厳なたたずまいを

際立たせています。」

このように書かれています。

まずは受付で入山料を納め、千畳敷へ。

庭園としての眺望もいいですね!

至る所に案内があり

迷うことはありません。

途中出会った案内には、

「埋蔵銭発見現場」と書かれています。

500年前の埋蔵銭とは、

凄いものが発見されたんだ〜!

この辺りかな?銭発見現場は(笑)

動物柵を通過。

ここからは、

ひたすら登るだけ(汗)

「千畳敷 もうすぐ」の案内板。

これは、ちょっと誇張気味で実際は、

「千畳敷 まだまだ」でした(笑)

種痘を広めた偉いお医者さん、

笠原白翁の墓所。

この時は登るのに必死で、スルー。

笠原さんごめんちゃい!

もはや「もうすぐ」とは

書かれていません(笑)

「千畳敷 もう少しがんばれ」

「もう少し」じゃないって事?

いや〜これはユーモアか

それともブラックジョークなのか(笑)

「千畳敷 入口」

今度こそ「真実」のようです(笑)

お〜間違いなし!

城門のようですね!

大安禅寺 千畳敷

門を入るとそこは異空間・・

笏谷石の玉石垣に囲まれた、

高さ3mほどの墓石群が見えています。

墓石配置図。

苔むした石門の屋根、

エントランス、

ここだけ江戸時代に

タイムスリップした気になります。

扉にあしらわれた

松平氏の三つ葉葵紋。

美しい青色をした笏谷石の墓石、

素晴らしいですね!

そしてまずは、

一番奥の藩祖、結城秀康のお墓へ・・

参拝。

秀康さんの背後には、

死後も主君に寄り添うかのように

殉死した二人のお墓が建っています。

参拝。

千畳敷全景。

左から3代忠昌と室の道姫、

8、9、11代に参拝。

(お名前省略失礼します!)

右から、この廟所を造った、

4代光通さんとその室、国姫さん、

そして、5代、10代に参拝。

出口。

こちらには、

松平家のもいう一つの家紋、

桐紋が刻まれています。

亀趺(きふ)碑

亀趺碑とは、

亀の上に乗った石碑のことで、

墓石とは別に建てられるものが多く、

亡くなった人の功績などが、

刻まれているものもあります。

僕たちは千畳敷から山を下る途中、

亀趺碑の存在に気づいたのです。

行きがけには、

全く目に入らなかったので、

亀さんが呼んでくれたのかもですね(笑)

参道外れの目立たない場所に佇む

亀趺碑とお地蔵様。

お〜石の扉が開かれていますね!

これは

「いらっしゃ〜い」という

意味に違いありません(笑)

まずは参拝。

こちらも千畳敷と同じく、

全てが笏谷石製のようです。

上部の龍神様の彫刻。

漢文なので本当の意味は不明ですが、

恐らく、

藩主は偉いということを

表しているのかと思われます。

顕彰とでもいうのかな?

(あくまでも推測です)。

亀さんを見つめるように建つ

お地蔵様にもご挨拶し

千畳敷の参拝は完了。

この後、

お地蔵さんの左下に見えている

本堂へと向かいます。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください