魚吹八幡神社(姫路市)後編

 

10年経つと・・・

姫路市の魚吹(うすき)八幡神社、

妻は初めて、

僕は10年ぶりくらいの参拝ですが、

その月日の中で、僕の記憶は、

ほぼ無くなっていました(汗)

その分、新鮮に参拝出来たので、

それも良しとしましょうか(笑)

境内社

本殿の参拝が終わって、

次は境内社などを巡ります。

まず最初に、

魚吹八幡神社のはじまりの名前、

「敷島宮」と同じ、敷島神社へ。

御祭神は、

右が、伊弉諾尊、伊弉冉尊、

中央が、國常立尊、

左が、別雷神。

案内によると

「(前略)

社伝に正保二年(1645)

網干郷民協力して正殿を再建し

摂社等を整備したと伝えている

(後略)」

このように書かれています。

「摂社等」の摂社に当たるのでしょう。

松尾(まつのお)神社。

御祭神は、

お酒の神様大山咋(ぐい)命と

木花開耶比賣命。

ちなみに、木花開耶比賣命のお父様は、

大山祇(ずみ)命。

僕はよく、大山咋命と大山祇命が

ごっちゃになってしまいます(汗)

三神社。

御祭神は、

右が、神日本磐余彦命(神武天皇)、

中央が、瓊瓊杵命

左が、崇神天皇。

金刀比羅神社。

御祭神は大巳貴(おおなむち)神。

大国主命の別名です。

本殿向かって右手前の厳島神社。

御祭神は、

芸能の神様、市寸嶋比賣命。

宗像三女神の三女ですね。

通常見かける「池の中」ではなく、

浅い空堀?の真ん中に鎮座しています。

明治39年奉納の石橋を渡り本殿へ。

もしかすると以前は

池の中だったのかも・・・

厳島神社本殿に参拝。

厳島神社と反対側、

境内左端に鎮座する招魂社。

拝殿。

「招魂社」は、

陸軍大臣の寺内正毅の書。

Wikipediaよると、

寺内さんは長州(山口)生まれで、

高杉晋作の奇兵隊に入隊後、

倒幕軍として、

戊辰戦争、箱館戦争を戦い、

明治10年の西南戦争では、

田原坂の戦いにおいて負傷し、

右手が使えなくなったそうです・・・。

なので、これは左手で

書かれたものかも知れません。

参拝。

本殿。

こちらは境内社ではなく、

左が、金幣殿、

右が、神輿庫。

三ノ宮卯之助像と力石

今回、魚吹八幡神社に

再拝するきっかけの一つとなったのが、

最近気になる(笑)「力石」です。

三ノ宮卯之助像と力石。

像の下の

「魚吹八幡神社の「曲持」銘

力石の由来」を抜粋すると

「江戸期の文政・天保年間、

力石を担いで大力持ちとして

関東一円を風靡した

武州岩槻藩領三野宮生まれの

「三ノ宮卯之助」が

仰向けになって両足で差し回した

「曲持」銘の力石と、

手で差し上げた

「差し石」銘の力石が当社に現存する。

これは天保十一年(1840)二月、

大阪・天満宮で

三ノ宮卯之助一行が興行したさい、

魚吹八幡神社の氏子である

網干回船の船仲間たちが

当社に招き興行したものとみられる。

卯之助が担いだ刻銘の力石は、

長野・諏訪大社など

関東を中心にして二十六の有名神社に

三十七個現存しているが

「曲持」と刻まれた力石は、

当神社に唯一残る貴重な力石(後略)」

このように書かれています。

中心に置かれたのが、

三ノ宮卯之助「曲持」銘の力石。

天保年間興行に使われた

宣伝ビラの版画。

船の上に馬と人と俵を乗せて、

足で廻しているものまであります。

ちょっと、誇大広告だったかも?(笑)

誇大・・いや広告の前の力石。

三ノ宮卯之助ではない

名前入りの力石。

こちらも別の人が担いだもの。

小さめな力石。

僕でも担げるかも?

いや、腰が折れますね(汗)

最後に拝殿前でツーショット。

これにて

魚吹八幡神社の参拝は完了です。

 

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