太宰府天満宮・定遠館

定遠とは
「定遠(ていえん)」とは、
日清戦争で沈没した清国の軍艦です。
この軍艦の遺構である
「定遠館」なるものが、
太宰府天満宮の案内所裏で、
浮殿の真横にあるのですが、
現地に詳しい案内はなく、
ここは
Wikipediaの力を借りる事とします。
「日清戦争後、
太宰府天満宮の神職であり
衆議院議員でもあった小野隆助は、
定遠の引き揚げを大本営宛に求め、
1896年3月6日にその許可が降りた。
およそ1年をかけて引き揚げた小野隆助は、
自邸内に定遠の部材を用いて
記念の館を建てた。
一時期、地元の民間会社の
所有物になっていたが、
太宰府天満宮が買い取り、
以後、
職員住宅としても使用されていた。
ボートのオールが縁側の下の
部材として使用されていたり、
玄関口には装飾品として
使用されているものもある。
また、駐車場の門扉は
装甲鉄板を使っており、
海戦時の砲弾が炸裂した痕が
残ったままとなっている。」
以上がコピペです。
僕には「装甲鉄板の門」だけしか
頭になかったので、
建物は一瞥したのみで
ボートのオールなどは見ていません・・
近くだからと言って気を抜くと
大方こんな結果が待ち受けています(汗)
鉄門扉
ここが、
あの太宰府天満宮境内なのかと
不思議になる位に
このあたりに人はいません。
時折、インバウンドの方が、
浮殿前で撮影している程度で、
定遠館という存在は、
ちょっと注目度は低いかも・・
いや、
ほぼ知られていないかな(笑)
浮殿向かって右に、
定遠館の土塀と門が見えています。
門前。
気になる鉄扉は裏側です。
お〜あった〜!
「定遠館」
案内を書き出すと以下になります。
「明治二十八年二月、
日清戦争の威海衛の海戦で、
連合艦隊が大破自沈させた
清国北洋艦隊旗艦「定遠」を翌年に引揚げ、
その艦材をもって建築されたもの。
鉄製の門扉の大小の孔は、
砲弾の命中の疵痕である。」
ありし日の定遠。(Wikipediaより)
今から130年前に連合艦隊が沈めた
この軍艦の一部が、
僕たちの目の前にあるとは、
何とも感慨深いものがあります・・
あの時、日清戦争に負けていたら、
間違いなく
今の日本は無かったはずですから・・
両扉の近影。
破孔。
こちらも凄い・・
破孔の中の青空。
この光景、何となく「戦争と平和」を
想起させてくれます・・
最後に定遠館の全景を撮影。
先人の偉業をダイレクトに感じ、
改めて平和への思いを
新たにする事が出来た定遠館、
その定遠館を残してくださった
太宰府天満宮は、学問だけでなく、
平和の神様でもあるようです!