福岡城ピクニック・予習編・扇坂御門

 

K氏からの招待状

この物語の始まりは、

那国王の教室」主催のK氏より届いた

一通のメールです。

ここに記されている

福岡城の現地説明会にプラスして、

K氏が解説をしてくださると言う

願ってもない贅沢な企画です。

しかも能古島では兵站隊長として

大活躍だったP氏も参加とのことで、

なんとしても行きたい気分に・・

幸いなことに11月9日(土)の

潮見櫓復元工事見学会には都合が付き、

夫婦で参加する事になり、

せっかくの機会なので、

現地集合の1時間前に行き、

先に二人で福岡城を散策し、

予習的知識のインプットと

洒落込んでみました(笑)

バス旅

自宅からバス停までは約500m、

徒歩7〜8分で、

バス停から福岡市内中心部までは

都市高速経由で約40分。

幹線なのでバスの本数も多く、

結構な地方にしては、

意外と便利なんです(笑)

7時16分発、

天神行きのバスが到着。

福岡都市高速を走るバスの醍醐味の一つは、

筥崎宮お潮井浜を遥拝できる事。

まあ、逆(神社側)から見れば、

正中せいちゅう(神様の通る道)を遮断するように

高速道路が走っている訳で・・・

こちらがお潮井浜から見た都市高速です。

利便性を享受している

僕が言うのも変ですが、

神様もちょっと

困惑されているかも知れませんね(汗)

天神でバスを乗り継ぎ、

福岡城・鴻臚館前で下車。

上之橋

福岡城の北側の堀に架かる橋は二つ。

西側の下之橋と、ここ上之橋です。

現代版福岡城縄張図(笑)

ここは「上之橋御門」跡でもあります。

橋から見た西側の景色。

都市開発で、

かつての堀の幅よりも

狭くなっているそうですが、

それでもかなり大規模なものです。

ズームして下之橋方面を撮影・・

ですが、

福岡タワーの存在感しかありません(笑)

東御門

まずは東御門を目指し城内へ。

なかなか乙な石畳の登城路。

三の丸・鴻臚館跡。

昭和時代には平和台球場が、

江戸時代には黒田の重臣たちの

屋敷があった場所です。

福岡城むかし探訪館。

(開館前なので中は入らず)

これはやるしかないでしょう!

長政くんに成り切った妻(笑)

長政くんと言えば、

思い出すのがサイン入り丁銀です。

これには感激しましたよ!

石見銀山世界遺産センターでの

一番の思い出かも?(笑)

この辺りの石垣は打ち込み接ぎ。

隅石は算木積みで、

江戸時代初期のものか、

中期以降積み直したものかは、

定かではありません。

東御門の案内。

ここもそうですが、

福岡城の各所には

CGによる復元画像付きの案内があり

お陰で想像力を必要とせず(笑)

誰もが、福岡城を楽しめる仕組みが

構築されています。

門を通り東二の丸へ。

扇坂御門

ここからは、

次なる曲輪、二の丸との境、

扇坂御門を目指します。

朝早いので、

福岡城はほぼ独占状態(笑)

案内を抜粋すると

以下になります。

「東二の丸から西二の丸へ続く地点に、

扇坂御門と呼ばれる門がありました。

絵図から、この門の前には

文字通り扇型の階段が

あったことも分かっています。

扇形の階段は、全国の城の中でも

珍しい事例です。」

ここでも秀逸なCG画像で、

想像も妄想も必要無し(笑)

現代風に再現されていますが、

CG画像とダブって見えるほど、

先人への敬意が感じられ、

これはこれでありでしょう!

本丸表御門

上之橋御門、東御門、扇坂御門と

三つ難所を突破しても

次には、

ゴッツイ本丸表御門が待ち構えていて、

攻城する側ならば、

もう諦めたくなる気分でしょう(笑)

以下、案内の抜粋です。

「二の丸から本丸へあがる地点には、

櫓門形式の重厚な造りの

本丸表御門がありました。

黒田家の菩提寺である崇福寺の山門として、

大正7年(1918)に移築され、

現在もその遺構を見ることができます。

日常的に使用される裏御門に対して、

表御門は特別な日に使用されました。」

本丸表御門を突破(笑)

御祈念櫓跡

本丸に入り門の突き当たりには、

櫓台が見えています。

「御祈念櫓跡」

確かに跡地で今は更地です。

しかし・・・

7年ほど前の訪問時には、

この通り、

ちゃんと建っていたんですよ!

御祈念櫓が・・・

取っ払ったのは、

次なる復元建築への布石なのかも?

水の手

次に本丸の天守台方向へ。

このあたり、

桜のシーズンになると

花見客で満杯です(笑)

案内には、

「ここから眼下に広がる

ラグビー場と野球場は、

二の丸御殿と水の手がありました。

水の手とは水源池のことです。

敵方に城を攻められて

長期間城内に立て籠もることに

なってしまった場合のため、

飲料水として

水を貯めていたと考えられます。」

このように記されています。

平和な江戸時代、

渇水対策としても

効果があったかも?(笑)

相変わらずの素晴らしいCG画像。

こちらは、現在の水の手。

石垣が残っている分、

あまり違和感はありませんね。

二の丸御殿があったラグビー場。

この後、天守台へと向かいます。

(続く)

 

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