徳川家康最後陣地(岐阜県関ケ原町)

 

命を懸けて人心掌握

関ヶ原の戦いにおいて、

東軍に内通したり、

日和見している武将が多く、

実動体は少数である

石田三成率いる西軍との戦いが

一進一退となり、膠着する中、

当初、桃配山に本陣を置いた家康は、

将兵たちの士気を鼓舞するため、

石田三成が陣取る

笹尾山からわずか数百メートルの

最前線とも言える場所に移動しています。

この結果、松尾山にいた小早川秀秋も

最終的に西軍を裏切る決心が

ついたのかも知れません。

いくら厳重に守られているとはいえ、

最前線に大将が出ていけば、

敵の標的になるのは必至ですが、

逆に、部下の士気が

上がらないはずはありません。

武田信玄に大敗した三方ヶ原の戦い、

秀吉に局地戦で勝利した、

小牧・長久手の戦いもそうでしたが、

家康は常に命懸けの戦いをし、

最終的には天下を取っていますので、

決して狸親父(笑)なんかでは

ないようですね。

徳川家康最後陣地・床几場へ

関ヶ原の戦跡は多すぎて、

全部回れば1日では足りないでしょう。

今回の旅ではその中でも、

行きたい場所と、通りがかりで、

たまたま見つけた場所を巡ってみました。

行きたい場所の一つ、

徳川家康最後陣地は、

岐阜関ケ原古戦場記念館の隣で、

その展望室からは全体を見下ろせます。

逆に徳川家康最後陣地から見た、

岐阜関ケ原古戦場記念館。

全景。

案内。

石碑。

ここは床几場とも言われ、

戦いの後、家康が、

敵将の首実検を行った場でもあります。

最後陣地の記念碑へ。

案内によると、

正面中央の土壇と周囲の土塁は、

幕末、天保十二年(1841年)

幕府の命を受け、この地の領主、

竹中重明が築いたものと書かれています。

幕末らしく、土壇を形成する石垣は

綺麗な切込み接ぎです。

やはり僕の視点は石垣か(笑)

 

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