福岡城ピクニック・下之橋御門内覧

 

令和7年幕開け

かつてFB友達だった、

K氏とP氏が僕のブログを見つけてくれ、

10年ぶりの再会となった昨年は、

僕たち夫婦にとって、

エポックメイキングな年となりました。

これを象徴するかのように、

年を跨いでの「福岡城ピクニック」、

鋭意継続中であります。

そして今年、令和7年、

僕の大いなる野望は、

両氏との交流をさらに発展させ、

さらに毎日を楽しむ事!

ま〜だ元旦ですが、

すでにその野望を達成し、

大晦日にはその祝杯をあげている

未来の僕たちを想像しております(笑)

御城印

潮見櫓復元工事現場近くで、

巨大な御城印に遭遇!

巨大さの証明(笑)

御城印は集めていませんが、

これにはテンション上がりますね!

三の丸

潮見櫓復元工事現場の前に広がるのが、

福岡城三の丸です。

福岡市民の憩いの場、三の丸。

K氏の説明に聞き入るご一行様。

(P氏撮影)

案内を要約すると

「ここは平らで広大であったため、

江戸時代は、

屋敷、役所、庭園として使われ、

明治になると県庁が置かれ、

数年後、陸軍の練兵場となり、

先の大戦後は、

国の出先期間、病院、学校、

自衛隊関連施設などが建てられたが、

その後移転が進み

現在の広場となったいる。」

このようになります。

伝潮見櫓

次に「伝潮見櫓」へ。

伝潮見櫓(右)へ向かうご一行様。

同行のNさんと会話が弾む妻。

後でP氏から教えて貰ったのですが、

初めてお会いしたNさん、

7年ほど前に書いた、

綿津見神社」のブログを偶然読んで、

僕たち二人の顔を

知ってくださっていたのです!

嬉しいにも程がありますよ(笑)

伝潮見櫓を見ながら、

K氏がレクチャーを開始。

ここからK氏が持つ知識の奥深さに

僕はただただ驚嘆するばかり・・

そのビックリの一つが

この櫓には、

福岡のお菓子屋メーカーの老舗、

石村萬盛堂のご先祖様が

関わっている事です。

後日、K氏から

その裏付けとなる画像を

送っていただいたので、

K氏と石村萬盛堂さんに敬意を持って、

共有させていただきます。

今から200年以上昔の棟札で、

石村さんは棟梁です。

棟札裏の石村善次郎氏が

石村萬盛堂の創業者で、

善右氏が二代目社長です。

K氏の底無しの情報収集能力、

これならば、

優秀なスパイとして活躍できそうかも(笑)

改めて「伝潮見櫓」を見ると、

今まで感じていた「ただの櫓」ではなく、

石村棟梁が精魂込めて造った、

一つの芸術作品にも見えてきます・・

櫓台は、野面積みの石垣。

福岡城築城時、

慶長期のものでしょうか・・

櫓への石段。

中央に大石が配置されているのには、

何か意味があるのかな?

入口。

黒田家の家紋入り屋根瓦。

二階への階段が二ヶ所にあり、

それが途中で一つにまとまるという

珍しい造りとなっています。

壁伝いの細い階段で階上へ。

ここでもう一つの階段と合流。

天井の梁も確認。

北側の窓から、

下之橋御門と土橋を望む。

西側、潮見櫓方面。

潮見櫓の工事現場を再確認(笑)

下の橋御門

この日はラッキーな事に、

潮見櫓の見学会に合わせ、

先ほどの伝潮見櫓と

下之橋御門が特別公開されていました。

二時間限定と書かれると

「ついてる感」が増し増しですね(笑)

P氏撮影のご一行様。

下之橋御門入口に到着。

柱の一部に古材が使われています。

天井下の棟札。

「平成十九月吉祥日」の

文字が確認できます。

この門は平成十二年に火事で焼失し

それを再建しているのですが、

焼けた門は明治以降に改変され、

二階部分は無なく、

焼失をきっかけとして、

詳しい調査が行われ、

本来は「二階建て」だった事が確定し、

現在の姿で再建されています。

安易に災い転じて福とは言えませんが、

火事を「不幸な過去」だけに

とどめなかった福岡市、

いい仕事してますね!

廊下との間には、

引き戸の仕切りがあり、

なんか「家」みたい?(笑)

廊下の鉄砲狭間。

廊下からの景色。

この後は奥の部屋へ。

ここには焼失した際に

残された痕跡を展示しています。

貴重なものが見られるのは、

ありがたいことですね。

「下之橋御門復元鯱」

「二層の櫓門として修復された際、

出土した鯱瓦や

崇福寺山門に保管されている

本丸表御門の鯱を参考に、

復元・新調されたものである。」

このように案内されています。

ここまでで下之橋御門内覧は完了し、

次なる公開場所、

多聞櫓へと向かいます。

(続く)

 

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Comment

  1. 源能直 より:

    棟札、役人名に「山本正助」殿!わたるべくして、渡り歩いた?史料!!!

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