福島縣護國神社(福島市)

 

御由緒

福島縣護國神社の御祭神は、

戊辰戦争以降の御英霊と天照皇大御神です。

護國神社の場合、御英霊のみが

御祭神というのが多いようですが、

命を賭して日本という国を

繋いでくださったご先祖様と、

日本の最高神の組み合わせには

実に心強いものがあります・・

しかし、

御由緒をよく読むと、

天照皇大御神の奉斎の背景には

神社存廃の危機という

困難な歴史があったのです・・・

以下、

パンフレットからの抜粋です。

「明治十二年、

信夫山の地に招魂社を造営し、

戊辰の役従軍殉国者で

相馬・田村・会津の

招魂場に祀られていた

御霊と同従軍殉国者にして

此れに祀られなかった御霊及び

西南の役に殉じた

管内人の御霊を合祀し創建され、

爾来、大東亜戦争に至るまで

本県人にして困難に殉じた

御霊が合祀されてまいりました。

戦後GHQの占領下におかれ、

存続の危機にたたされ、

当時先人は存続を願い

伊勢の神宮(天照皇大御神)をお祀りし、

大霊神社と名称を変えました。

その後、昭和二十七年四月に

主権国家を回復し

同年九月福島縣護國神社に復称し、

現在に至っております。」

神社生き残りの道を、

伊勢の神宮に求められたのですね・・

天照皇大御神、

福島縣護國神社を守っていただき、

ありがたいことです・・・

参道

駐車場から社頭へ。

一の鳥居。

神社の背後には、

信夫山しのぶやまがそびえています。

手水舎。

僕たちは6月28日の参拝、

なので「夏詣」。

涼しげな簾や風鈴の演出での

素敵なおもてなし、

ありがたし!

天の川風デザインの番傘も

目を楽しませてくれます。

センサー感知で水が流れ、

柄杓は立てられるタイプ。

衛生的で、こちらも良いですね!

鉢の底にいらっしゃる

大国様にもご挨拶。

拝殿

禊も完了し拝殿へ。

二の鳥居。

石段を登りきると、

護國神社の定番、

翼殿付きの拝殿と

広い境内が現れます。

茅の輪くぐり。

左、右、左と♾️の文字を描き

これで過去半年間の罪穢れは

アッという間に無かった事に(笑)

日本の神様は、

懺悔なんかしなくても

これだけでOKなんですから

おおらかで良いですね!

拝殿へ。

参拝。

ほのぼのした開運絵馬は僕たち好み。

御朱印も授与完了。

石碑

参拝後は参道脇の石碑へ。

悠久平和の碑。

慰霊之碑。

権坊稲荷

本殿向かって右に鎮座するのが、

権坊稲荷という、お稲荷さんです。

護國神社らしく神明鳥居で、

稲荷神社定番の

赤い鳥居ではないんですね。

参拝。

信夫山天満宮

福島縣護國神社の一の鳥居の

すぐ側に鎮座するのが、

信夫山天満宮です。

入口。

御由緒を書き出すと

以下になります。

「霊験あらたかで

「年に一度は必ず願いごと叶う」

「願うて叶わざるはなし」として

天満大自在天神の神号を賜わった、

全国天満宮の総本宮である

太宰府天満宮より

特別に御分霊を拝戴し、

昭和六十三年九月にお祀り申し上げました。

格別の御差配により

”「梅花」”の神紋を掲げ、

名実ともに東北の太宰府天満宮として

名乗ることをお許し戴き、

由緒と神格の信夫山天満宮であります。」

この文章、

太宰府天満宮への敬意に

満ち溢れていて、

これを読んだだけでも、

菅原道真さんのご利益を

いただいた気持ちになれますね!

お社付きのなで牛。

こちらの案内にも

「太宰府御分霊信夫山天満宮」とあり、

ここが、

「東北の太宰府天満宮」である事への

自負というのか、

誇りが感じられて、

思わず微笑んでしまいます。

参拝。

真横から撮影。

拝殿と本殿一体型の御社殿です。

最後はいつものこれ(笑)で参拝完了。

 

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