風浪宮(福岡県大川市)後編

 

白鷺伝説を信じるか?

神社のサイトによると

「白鷺がとまったところに

お社を建てたのが起源」

このように書かれています。

これは神功皇后伝説の一つのですが、

時々、神社の御由緒などには、

同じような話はあるので、

「な~んだ、そんな話か」

なんて片付けそうですが、

このようなお話を、

ただの「伝承」と捉えるのは、

早計かもしれません。

僕たちは、この夏、

桶狭間古戦場近くにある

織田信長の戦勝を導いた

白鷺がとまった場所として建てられた

「鷺之森碑」を訪問した時、

偶然にも本物の白鷺に

出会っているからです。

偶然にもほどがある体験でしたが、

こんなこともあって、

僕は、今まで以上に

伝承をかなり信じるようになりました。

やはり何らかの力が働き、

今の場所に風浪宮の神様が

鎮座されたのは、

間違いないと考えています。

白鷺の楠

風浪宮で御本殿と同じくらいに

重要な場所が、

「白鷺の楠」と名付けられた、

樹齢2千年と言われる大楠です。

境内図でもわかるように

白鷺の楠がそびえているのは、

御社殿の右手前です。

案内。

要約すると

「神功皇后が御親征から無事戻られた時、

皇后の御船のあたりに忽然と現れた白鷺を

御覧になった皇后が、

かの白鷺こそ我を風浪の難から守護し給うた

海神、少童命(わらつみのみこと)の

化身なりとして武内宿禰に

その後をつけさせ、

止まったのが大楠であり、

ここを聖地として、少童命を祀った」

このように書かれていて、

白鷺が神様の化身という

お話にはとても共感します。

「白鷺の楠」全景。

根本も巨大ですね。

五重塔

ここには、石造の五重塔があります。

その五重塔は、

立派な建物の中に安置されています。

正平十年(1355年)というから

今から700年近くも古いものです。

正面から。

右側面から。

南北朝時代の石灯籠

五重塔の前には、

同じ年に建てられた

石灯籠もあります。

屋根を付ける作業中の石灯籠。

正平十年という見慣れない元号、

後で調べると正平という元号は

南朝方の元号で、

先程も書いたように、

西暦1355年に当たります。

「願主 菊池城主」と刻まれていますが、

この時の菊池氏の当主は、

菊池武光ですから、

本人が寄進されたのかも知れません。

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(追記)後日ネットで知った事。

江戸時代、久留米藩の殿様が、

燈籠を気に入って、

江戸藩邸に置くため

風浪宮から取り上げ、

船で運んでいた所、船は難破し、

燈籠も水没・・・

その祟を恐れて、代替品を

造立したとの記述を見つけました。

従って、この燈籠は

正平時代のものではないようです。

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屋根を付ける作業はボランティアの方。

70代後半とお話されていましたが、

会話の端々に、

神社を愛する気持ちが

ひしひしと伝わってきました。

お金じゃなく、気持ちが大事・・・

凡人の僕には出来ません(汗)

境内社

風浪宮の境内社は、

本殿の周囲と、

神門の前に鎮座しています。

梅宮(うめのみや)。

御祭神は木花咲耶姫尊で、

縁結びの神様です。

松風稲荷社。

ここは裏側への参道もあります。

本殿の真裏からも参拝。

岩藤稲荷社。

月読社。

本殿裏側の社叢。

左が蛭子社、右が天満社。

薬師社。

神門から戻って、

あと二社を巡ります。

幸神社へ。

幸神社(さちがみしゃ)。

祇園社。

大川公園

道路を挟んだ向かい側の

風浪宮外苑は、

大川公園として整備されています。

案内。

地元、大川市出身の作曲家、

古賀政男の「影を慕いて」の石碑。

池。

忠魂碑。

平和の塔。

珍しいレンガ造りの藤棚。

酒見貝塚の案内。

遙拝所(多分)

遙拝所から本殿方向を撮影。

一の鳥居。

肥前鳥居形式なので、

1750年位のものと

勝手に推定(笑)

今日の雲

風浪宮から大川公園に向かう境内で、

ちょっと気になる雲を発見。

なんだか絵の具で描いたようですね。

 

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