伊太祁曽神社(和歌山市)後編

 

景観に溶け込む建物

伊太祁曽神社の社務所は

入母屋造りの二階建て、

高欄が巡る、立派なものです。

木造でしょうが、

本殿や、拝殿などとともに

この境内に溶け込んでいます。

そしてもう一つ、

景観に溶け込んでいるのが、

こちらのトイレです。

木造(風?)のトイレは、

清潔そのもの。

そして、

車椅子用、オストメイト完備、

しかも、

視覚障害者用タイルがトイレの中まで

設置されているという

涙モノの素晴らしさ!

こんなユニバーサルデザインな

伊太祁曽神社さんの優しさに

ここでも感動のツボを

ギュッと押されてしまいました!

大鳥居

伊太祁曽神社の大鳥居は、

神社の参道入口に建っていますが、

僕達は車でくぐっただけで、

写真を撮っていませんでした。

大鳥居に歩いて戻る気力が

失せていたのでしょう(汗)

しかし、社務所の横では、

大鳥居の歴史を物語る

貴重な遺構を見ることが出来ました。

社務所横に並べられた鳥居の遺構。

案内を書き出すと、

「大鳥居の基部

平成二十九年に大鳥居の改修工事をした。

昭和十二年の御造営で建立されて以来、

八十有余の星霜を経て老朽化が進み

倒壊の恐れがあった為である。

この大鳥居の柱の下部分は今までの

鳥居の木材を使用し、上部分に

第六十二回伊勢宮式年遷宮の古材を

繋ぎ合わせ(根継ぎの技術)、

伊勢神宮と当社を融合した形で完成した。

ここに展示してある左側の黒い木材

(コールタールで固めた)は、

地中に埋まっていた前の鳥居の

基礎の部分で、

地表に出た部分が

雨水の影響で、腐食して

細くなっているのが解る。

右側の木材は、更に、

その下部に埋まっていたもので、

「(鳥)居用木」の文字を

窺うことができる。

神社の記録によれば

「大鳥居 明神造 柱廻り六尺三寸

横幅三間壱分 高サ三間九分」とあり、

鳥居建立の棟札には

明治十九年とあるから、

約百三十年

地中に埋まっていたことになる。」

このようになります。

いや~!素晴らしい!

やはり、ここには

素晴らしい気(木)が

流れているはずですよ!

古いものを大切に使うだけでなく、

このように参拝者にも

懇切丁寧な案内で

紹介していただいているのですから。

「(鳥)居用木」の柱アップ。

明治十九年建立の鳥居の

さらに下に埋まっていたのですから

恐らく江戸時代のものでしょう・・・

境内を歩けば歩くほど、

感激もひとしおの伊太祁曽神社です。

お休み処 木もれび

社務所の隣にあるのが、

「お休み処 木もれび」です。

エントランス。

神社の雰囲気に溶け込んだ

木造の建築物です。

メニュー。

甘味は僕も妻も大好きですが、

夜のお酒を美味しく飲むために

ここはグッと我慢(笑)

祇園神社

次に境内社二つを参拝。

まずは、祇園神社から。

伊太祁曽神社の鳥居は木製。

ここも例外ではありません。

御由緒。

「この祇園神社は、

伊太祁曽神社の祭神

五十猛命の父神様である

須佐男命等をお祀りしています。

神社合祀令により

氏子区域内に祀られていた

祇園社四社

(塩ノ谷、明王子、山東中、奥須佐)も

明治四十二年ここに合霊されました。」

このように書かれています。

神社合祀令と言えば、

鎮守の森の破壊を憂い、

環境保護を訴え、

神社合祀令に反対した、

和歌山県が生んだ偉人、

南方熊楠を思い出します。

参道。

突き当りを右に行けば祇園社ですが、

ますは左の磐(いわくら)へ。

注連縄が掛けられた磐に参拝。

案内。

「神代の昔、須佐之男神と五十猛神は、

高天原より降る天降る時、

新羅(韓国)の曽尸茂梨

(そしもり)に降り立ちますが、

「この国には居りたくない」として

舟を造り東に渡り、

出雲國の簸川上の鳥上峯に至ります。

その後、須佐之男神は大蛇を退治し

五十猛神は、妹神とともに

日本全国に木を植えて廻り、

すべて青山となします。

五十猛神は、その功績により

有功之神(いさおしのかみ)と称えられ、

紀伊國にお鎮まりになった。

という事が「日本書紀」に記されています。

この度、

奥出雲の鳥上峯(船通山)の磐を

ここ祇園神社の社前に神祀りし

彼の地を拝む縁といたします。」

このように書かれています。

御祭神である

須佐之男神と五十猛神

ゆかりの地にある磐を

奥出雲(島根県)から持ってきて、

参拝の縁とするとは、

なんと、素晴らしいことでしょうか!

もう感動が止まらないと思っていたら、

もう一つ忘れられない出来事が

待っていたのです・・・

なにげに奉納された幟を見ると、

僕達の亡くなた息子と

同じ名前があったのです・・・。

妻と二人して、しばし佇みました・・。

普段は神社に行っても

幟の名前などあまり気にしないのに、

滅多に使われていない漢字が、

ここで僕の目に入ったのは、

やはり磐のお力もあったのかと・・・

伊太祁曽神社さんに

改めて感謝した次第です・・・。

参拝。

本殿は平成二十三年の改築ですが、

お手入れが素晴らしいのか、

真新しく見えますね。

御井社

最後に参拝したのは、

御本殿の下に鎮座する御井社です。

読み方は「みいしゃ」・・・でしょうか?

今も分かっていません(汗)

ここからが参道。

案内。

御祭神は水には欠かせない神様、

古事記ではイザナミの

おしっこから生まれたとされる、

彌都波能売神(みずはのめのかみ)。

そして、御井神(みいのかみ)です。

参道。

なんだか堀切の底を歩いている気分(笑)

横からの入口。

正面から撮影。

まずは、井戸へ。

綺麗に整備された井戸。

案内。

【お水の汲み方】

「井戸の蓋を開け、

柄杓で汲んでください。

夏場など水位が

減っていることがありますが、

大人が手を伸ばせば

汲める高さに水はあります。

汲み終えたら井戸の蓋をして

柄杓を元の場所に戻してください。

お水を頂いたら、伊太祁曽の神様と

御井社の神様への感謝を忘れずに。」

このように書かれています。

今度はちゃんと案内を読みました(笑)

一旦手前のくぼみに水を流し、

その後、お水をいただきます。

水をいただいた後は、

感謝の参拝。

古墳

最後に訪問したのは、

境内地内にある古墳です。

「ときわ山(古墳)20メートル」

このように距離が書かれていたので、

「行く気」になりました(笑)

円墳でしょうか・・・

案内板は「木製」。

「古墳(六世紀中頃)

岩橋型横穴式石室」

このように書かれています。

(「岩橋」は「いわせ」と読みます)

中を覗いてみると、

お~!!確かに石室があります!

ここも和歌山城と同じく、

緑色片岩を使っているようで、

後で調べると、

「正解」のようでした(笑)

また、この撮影ではiPhoneが活躍。

狭~い隙間からの撮影は、

レンズがちっちゃい

スマホの独壇場ですからね(笑)

これにて伊太祁曽神社参拝は

ようやく完了です。

 

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