武田耕雲斎等墓(福井県敦賀市)墓参

国を憂う心
幕末、西洋列強からの圧力に対し、
日本を「独立国」として
守りたいという一心のみで、
多くの血が流され、
その結果、
日本は明治維新を迎えました。
その後も佐賀戦争(佐賀の乱)や、
明治10年の西南戦争まで、
武家社会の後始末的な戦いが続き、
戦った双方ともに
恨みや憎しみを抱えつつも
それを乗り越え、
或いは乗り越えられずとも
ようやく
新たな日本の形が作られたのです。
幕末、尊王攘夷を掲げ、
徳川慶喜を頼りとして、
水戸から敦賀まで行軍した天狗党。
慶喜にその想いは通じず、
悲惨な最後を遂げています。
彼らは私利私欲ではなく
「国を憂う心」のみで行動し
そして
死んでいったのでしょう・・
彼らのお墓に参って、
敦賀から水戸に移築された
鯡蔵(回天館)で見た、
彼らの絶筆「叶う」の文字が、
改めて脳裏をかすめています・・
彼らの想い、
叶ったのでしょうか・・
水戸烈士追悼碑
鯡蔵の向に建つのが、
水戸烈士追悼碑です。
なんだかストーンサークルを
彷彿とさせる佇まいです・・
あくまでも推測ですが、
戦時中の金属供出で、石と石を繋ぐ、
鉄パイプ部分が撤去された結果の
現風景なのかと思います。
巨大な石碑に参拝。
大きさ比較の為、妻登場。
裏面。
昭和十六年の建立で、
追悼文が刻まれています。
水戸烈士追悼碑の横に建つ
「水戸天狗党ウォーク完歩記念碑」
昭和63年、
幕末に水戸天狗党が、
水戸から敦賀まで行軍したコースを辿る
イベントが行われ、
85の都市を通過し、1100Kmを
38日間で完歩したと記されています。
これと同じコースを徒歩で
完歩したという事ですから、
まさに「偉業」と言っても
過言ではありませんね!
昭和の方々の心意気には、
敬意しかありません!
武田耕雲斎銅像
参道を奥へ。
半年前に整備されたばかりで、
お墓なのに「気が良い」のです。
いや、
お墓ならではの気の良さかな?(笑)
もうすぐ入口。
お邪魔します・・
案内板(右)、
天狗党353名の処刑日と人数(左)
以下案内の抜粋です。
「元治元年十月水戸藩士武田耕雲斎の党は
尊攘の大儀を唱え西上の途次越前に入り
十二月敦賀郡新保宿にて大雪に遇い
慶喜の軍門に下れり
翌年二月幕府は
耕雲斎以下三百五十三名を斬首せり
今此の墓地は
当時の刑場にして遺骸を埋めて土盛り、
方十二間高さ八尺西面して
十三基の墓が建てられている。
昭和九年十二月二十八日文部省より
著名なる人物の墓として
二百五十六坪の地域を史蹟に指定され
現状の変更樹木の伐採は
出来ない様保護されている。
敦賀水戸烈士遺徳顕彰会」
参道左で見つけた新しめの顕彰碑。
「村松大神宮第七十六代宮司
澤田恒之介の弟
澤田信之介 天狗党」
このように刻まれ、
裏面には気比神宮の宮司さんの
ご尽力と水戸烈士遺徳顕彰会の
会長などの配慮により
平成三十年に建立されたと
書かれています。
村松大神宮を地図で調べると、
僕たちが茨城で泊まった
ホテルエリアワン東海の近くで、
同じ東海村に鎮座しています。
なんか、親近感というか、
ホテルを通じて天狗党さんとの
ご縁もあったのでしょう・・・
参道左。
水戸市からの献木が立ち並びます。
参道右側も同じく献木だらけ・・
明治100年と150年記念碑。
昭和十七年に建てられた
「史蹟 武田耕雲斎等墓」碑。
この向かいに建つのが、
武田耕雲斎の銅像です。
まるで天狗党の魂を代表するかのように
お墓の手前で優しく参拝者を
出迎えてくださいます。
アップ。
お顔ドアップ。
強い志と達観したような瞳・・
耕雲斎さんは、
天狗党を率いた時から
死を覚悟していたのでしょう・・
耕雲斎さん目線の参道。
楓の家紋がカッコいい!
これを見ると
耕雲斎さんのお顔が、
天狗に見えてくるのが不思議です(笑)
墓参
墳墓は方形に盛られ、
古墳的な雰囲気もあります。
斜め右から。
左後方から。
正面。
門扉は戦時中の金属供出で
無くなっていますが
門柱ほか石の部分は、
そのまま残されています。
左側の門柱に
「澤田久蔵」とあり、
お名前からして、
先ほどの澤田信之介さんの
子孫の方かも知れません・・
十三基の墓石に参拝。
武田耕雲斎(武田伊賀守)を中心に
刑死された方々の名前が刻まれ、
筑波山で義挙した藤田小四郎の名も
見えています・・
右斜めから撮影。
討死した方の墓石。
病死された方の墓石。
不衛生極まりない鯡蔵の中で
亡くなった方も
ここに刻まれているのでしょう。
お墓の前には美しい生花が、
供えられていて、
悲劇への思いが、
いっそう強くなります・・
墓石後ろの小山。
石段があるので登ってみました。
十三基お墓は、
武田耕雲斎はじめ、
天狗党の皆様が祀られている
松原神社の本殿を向いています。
仕置場(処刑場)跡
お参り後は、
実際に処刑が行われた場所へ・・
来迎寺。
この付近で処刑が行われたそうなので、
ちょっと巡ってみます・・
古いお墓だらけ・・・
天保(1840年前後)など
江戸時代のお墓も見受けられます・・
六地蔵。
もしかして、
天狗党の供養の為でも
あるのでしょうか・・・
三界萬霊塔。
傾いた南無阿弥陀仏の石塔。
なんだか、
天狗党の方々が、
僕たちに何かを訴えているような・・
いや、
「ここに来てくれてありがとう」
そう言ってくれているはずです・・