八幡山神社(呉市音戸町)
戦争の記憶
誰かの本の中で、
「外交手段の一つが戦争である」
このような言葉がありました。
戦争反対と何度叫んでも
署名運動をしても
戦争は無くなりません。
だからこの言葉は、
一つの真理だと思っています。
ただ、
過去の戦争の記憶を
多くの人が知り、心に刻むことは、
外交の一つである戦争を
抑止するまではいかなくても
その悲しさだけは伝わるでしょう。
そんな戦争の記憶を辿れる場所、
それが、この日最後に参拝した
呉市音戸町鎮座の八幡山神社です。
嗚呼特殊潜航艇の碑
神社参拝の前に
まずは、嗚呼特殊潜航艇の碑へ。
社頭。
参道の左脇に入った場所に、
目指す石碑は建っていますので、
まずは、そちらへ。
嗚呼特殊潜航艇の碑。
何故ここにこ碑があるかと言うと
神社前に広がる海が、
特殊潜航艇の
訓練場所だったからのようです。
ちなみに特殊潜航艇とは、
戦争末期の特攻兵器「回天」とは違い、
「必死」ではなく「決死」の兵器で、
二人乗りの小さな潜水艦に
魚雷を二本搭載したもので、
大東亜戦争劈頭の
真珠湾攻撃でも5隻が投入され、
全隻沈没、9名戦死、
1人が捕虜となっています。
案内によると、
「大東亜戦争中(1941~45)
各地に航跡を残した
特殊潜航艇関係の戦没者
440余柱の霊をここに祀る」
このように書かれています。
「日本海軍特殊潜航艇二勇士
一九四二年六月三日コノ地ニテ戦死ス
一九七六年十一月十日
日本國大使館建立」
解説として、
「この銘版は1942年5月30日
マダガスカル島
ディエゴスワレス港所在
英国艦隊攻撃成功後、
上陸、山中を踏破し
母潜水艦を望む丘に到着しながら
英軍に発見され戦死した
特殊潜航艇搭乗員を偲び
建立された碑のもので
長年風雨に曝され衰朽甚だしく
新品と交換され
日本へ送られた初代銘版です。
2001年 5月吉日 八幡山神社」
このような銘版があります。
マダガスカル島、
僕のイメージは、
「アフリカ大陸の右下にある
バオバブの木で有名な島」。
そんな島の湾内にいた
イギリス海軍に特殊潜航艇で、
殴り込み戦果をあげ、
戦死したのが上記のお二人で、
Wikipediaによると
「ディエゴ・スアレスでは
戦艦ラミリーズを大破、
油槽船ブリティッシュ・ロイヤルティ
(6,993トン)を撃沈した。」
このように書かれています。
参拝。
忠魂碑
嗚呼特殊潜航艇の石碑と
参道を挟むようにして
建つのが忠魂碑です。
御英霊の方々に参拝。
祓戸社的なお社
忠魂碑の横には、
お社があります。
御祭神はわかりませんが、
社頭に鎮座しているので、
勝手に祓戸社と考えて参拝です。
参道
ようやく参道へ。
門松が正月気分を盛り上げてくれます。
もうすぐ頂上。
振り返って海側を撮影。
近くの大崎公園には、
特殊潜航艇関連の遺跡が
残されているようです。
(行ってませんが)
御由緒を要約すると
「御祭神は、
応神天皇、神功皇后、玉依姫命。
神代の昔、厳島神社の祭神、
市岐嶋姫命が当地方巡回の節、
情島・長谷の名称を残される。
聖武天皇の御代、本社を創建。
現拝殿は、嘉永六年地鎮祭を行い、
安政元年遷宮式挙行さる。
神殿は大正八年に改築成る。
石段文政二年築造す。
本殿前石灯籠 宝暦九年設立」
このように書かれています。
という事は、
先程登った石段は、
200年もの間、参拝者の体重を
支えているのですね(笑)
手水舎。
ここで目に入るのが、右側の台です。
お手水する時、荷物を置く場所として
ここの設置されているのでしょうが、
石造りの立派なものですね!
元治元年(1864)奉納の手水鉢。
綺麗に手入れされ、清潔そのものです。
そして、妻が注目したのが、
手水舎先の木。
この空洞感がたまらない!?
御社殿
僕達が車を停めたのは、
御社殿前のスペースで、
そこまで行くのに、
軽自動車の幅でも
めっちゃ細い道を
ドキドキしながら登ったのも
今では良い思い出です(笑)
安政元年(1854)建立の拝殿へ。
天井の造りが、
まさに「安政」というか、
天井に渡された丸太が、
いい雰囲気を出しています。
そんな天井で発見したのが、
こちらの神輿です。
何で、こんな所にあるのでしょう?
謎です・・・。
絵馬も沢山掲げられていますが、
僕達はこの優しいお顔した
猿の絵馬が気に入りました。
参拝後、中殿から本殿へ。
本殿。
両脇の石灯籠が、
御由緒に書かれていた
宝暦九年(1759)
寄進のものですね。
燈籠のどアップ。
「宝暦九己卯正月吉日」と
刻まれています。
本殿手前の鬼瓦。
案内には、
「(前略)
当社の拝殿は安政元年(1854)に
建設されたが、その時の鬼瓦である。
平成十五年九月に現拝殿は竣工されて、
新しい鬼瓦が設置されました。
前代の鬼瓦を有志の子により
ここに永く保存します。
平成二十六年四月吉日」
このように書かれています。
「有志の子」とは、「有志たち」
みたいな意味でしょうか?
まあ、いずれにしても、
このように古いものを大切に
後世に残していただくお気持ちに
心から感謝しかありません。
境内社
次に本殿横の境内社へ。
左が金比羅社、右が稲荷社。
最後に拝殿前にてツーショット。
これにて、
八幡山神社の参拝は完了です。