田島神社(佐賀県唐津市)

 

豊臣秀吉の足跡

教科書で習う豊臣秀吉の朝鮮出兵は

ただ史実として「朝鮮を攻めました」

「朝鮮の人をたくさん殺しました」

くらいにしか

書かれていなかったと思います。

でも朝鮮出兵に関わった

「ひと」や「もの」や「こと」を考えると

ただの史実だけでは無く、

その出来事で生まれた遺産は

現代まで脈々と続くものだと知ります。

だからこそ今僕たちは

観光したり体験したり出来るのです。

「歴史」の多くは戦争、権力闘争、

殺し合い、生き残りの歴史です。

ジェット機、原子力(原爆)、

GPS、ロケットなどなど

高度な技術だって戦争で勝つ為に

努力して出来たものばかりです。

だから僕は過去の全てを肯定した気持ちで

歴史遺産を見て、聞いて、体験し、

その結果が、楽しみだったり、

喜びだったり、

あるいは死者への祈りだったりすると

思っています。

今回の目的地である田島神社は

そんな豊臣秀吉の朝鮮出兵や

元寇(げんこう)や、そのもっと昔、

任那(みまな)の日本府の援軍として

新羅と戦った戦士の故事などがある

とても興味深い神社でした。

ん?この三つもやっぱり戦争、

殺し合いの歴史ですね〜(笑)

ランチで満足した僕たちは、

そんな地田島神社へと向かいました。

田島神社へ

ここに参拝したくなった理由は、

ネットで見た、海辺に鎮座するカッコいい

田島神社の写真を見たからです。

呼子大橋を渡ると田島神社が鎮座する

加部島です。

対岸の右側は、

戦国大名のオールスターキャストが

揃った広大な名護屋城跡。

そして名護屋城から見た呼子大橋はこちら。

こうやって見ると、

名護屋城と田島神社は

わりと近い距離なのがわかります。

橋を渡って5分ほどで

田島神社に到着しました。

海側、正面から見た田島神社です。

なんだか海までも

参道が続いているように感じますね!

神社の横から境内に入ります。

海風が心地よい参道です。

これは元寇の時の「蒙古軍船の碇石」です。

神社近くの玄界灘から

引き揚げられたものだとの

説明がありましたが、

これだけでも元寇という史実は

現代に生きていますよね(笑)

横の階段から本殿を目指します。

この鳥居も「肥前鳥居」の

スタンダードに近いもので

いい感じの雰囲気を

かもし出してくれています!

楼門から海岸側を撮影。

ひょっとすると昔は鳥居がある岸壁から

船で参拝に来ていた人も

いたのかも知れません。

だから参道が海まで伸びている

感じなのでしょう(あくまでも推測ですが)

立派な楼門。

楼門を海側から見るとこんな感じです。

下までおりて、

改めて階段を登ってみました。

楼門の敷地からさらに拝殿に上がる

階段の右側には案内板があります。

「力石」

豊臣秀吉が名護屋在陣のころ配下の武将が

田島神社参拝の折、力比べのために

海岸から持って来た石だそうです。

そのころ呼子大橋は無かったので

船に乗って参拝に来たのでしょう。

拝殿

思わず笑ってしまう、

ひょうきん過ぎる狛犬!

吽形の狛犬も心和む表情です(笑)

御社殿の奥に何かあるようなので

行ってみました。

大きな石があります。

「太閤祈念石」

説明を超要約すると、

豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、

田島神社の神主らが

7日間断食などして勝利を祈念し

「大願成就するならば

この石が二つに割れる」と祈り

秀吉自らこの石を槍で突いたら

二つに割れたというもの。

何だかトンボの顔に見えるような…(笑)

力石といい、この祈念石といい、

田島神社と名護屋城とは

深いご縁があるようですね!

祈念石から戻る途中、本殿を撮影。

そして、境内社の

佐與姫(さよひめ)神社に参拝。

女性を祀る神社らしい色合いですね。

拝殿と本殿は続いているように見えます。

案内板を要約すると

「今から1500年ほど前、

勅命を受けて任那に行く途中

このき大伴狭手彦(おおとものさてひこ)が

地元豪族の娘、佐與姫と出会い

恋仲になり夫婦の約束を交わしたが

出発の日が来てしまい、

大伴狭手彦が乗った船を鏡山から見送り

その後、田島神社の神前で

夫の無事を祈り続け泣き続けて

遂に神石になってしまった。

これが世に言う「望夫石」であり、

この神社のご神体となっている。」

大伴狭手彦は無事帰還していますので、

だから縁結びの神様なんでしょうね!

ちなみに船を見送った佐與姫はこちら。

鏡山の展望台に海に向かって立っています。

1500年の時を超えて

愛する人の船を見送っているのかも?

佐與姫様に参拝。

拝殿や本殿を周囲の建物で

全部覆っているタイプの社殿で、

何だか神様を大切にしている感があって

いいですね!

その後、社務所を訪ねて

御朱印をお願いしました。

 

 

 

御朱印を書いてくれた宮司さんからは、

御朱印右下の「印」は江戸時代のもので、

「肥前国日女島」となっているとの

説明を受けました。

加部島は昔、姫島とか姫神島とかの

表記もあったようで、

日女島と言われた時代もあっのでしょうね。

ツーショットも忘れずに完了です(笑)

今日の癒し

呼子大橋近くの「風の見える丘公園」の

周辺地図。

とにかく分かりやすくて、

名産品の鯨とイカも泳いでいるし、

何と言っても僕が30年前、

会社員だったころ仕事で販売していた

イカ釣り漁船の「集魚灯」までが

再現されていたのには癒されました(笑)

 

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