浜松城(静岡県浜松市)後編

 

太原雪斎

太原雪斎(たいげんせっさい)は、

今川義元の軍師で、

その他な~んでも頼っていた

スーパーお坊さん。

この人が亡くなって5年後、

義元さんは桶狭間の戦いで落命し、

その約10年後、

戦国大名としての今川家は

滅亡しています。

(その後、江戸時代、

今川さんは幕府に仕え家名は存続)

そして、この雪斎さんは、

家康さんの恩師でもあるのです。

というか、

この人が教育していなければ、

歴史は全く違ったかも知れません。

もちろん家康さんが聡明だったから

先生も力が入ったのでしょうけどね(笑)

そして、

この事を知ったのは、

駿府城・巽櫓にあるこちらの展示です。

復元された「竹千代手習いの間」。

後年、家康が駿府に住んだのは、

自分の原点を忘れない為だった

かも知れません。

天守内部観覧

外観散策後は、

天守内部の観覧です。

石垣が良い感じ。

付櫓の石垣から入口へ。

黒と金、

なんかそそりますな~(笑)

エントランス。

展示は「三方ヶ原の戦い」推し。

言葉で気分高揚!

浜松城の歴史を追っての展示。

家康さんの代表的な甲冑。

金陀美具足。

僕たちは以前、

福岡で開催された

特別展 徳川家康と歴代将軍」で

久能山東照宮所蔵の

金陀美具足の本物を見ていますが、

その時、一番印象に残ったのは、

関ヶ原の戦いで纏っていた

「大黒様」の甲冑です(笑)

金陀美具足さんゴメンネ!

歯朶(しだ)具足。

浜松時代の若き家康公像。

案内を書き出すと、

以下になります。

「元亀3年12月22日、

31歳の若き徳川家康公が、

わずかな兵で

日本最強の軍団と言われる

「甲斐の虎」武田信玄公と戦った

三方ヶ原の合戦。

ここ浜松城から戦場へと出陣していく

家康公の姿を再現しました。」

これと全く同じポーズの銅像、

僕たちは引間城跡の

元城町東照宮で見たばかりで、

ちょっとデジャヴュみたい?(笑)

その銅像はこちらです。

どっちが先に出来たのかは

わかりませんが、

このポーズの「肝」は、

左手の力の入れ具合っでしょう!

ジオラマ&プロジェクションマッピング。

なかなか面白かったです。

南側の堀。

写真を拡大。

堀尾吉晴による浜松城の改築。

僕たちが二人して笑ったのが、

「秀吉好みの天守に作り替えた

2代目城主」

このフレーズです。

秀吉好み=派手(笑)

低い身分から出世した秀吉は

多くの人々に

自分の権威を見せつけるため、

結局、豪華な天守を作る

必要があったからでしょう・・・

発掘調査の出土品など。

松江城と浜松城のつながり。

案内の中で、

「松江城天守の解体修理では

「遠州浜松之郷において」と

墨書きされた部材が確認されており、

松江と浜松とのつながりをうかがい

知ることができる。」

このように書かれています。

松江城は浜松城を

移築したわけでもないのに

何故なんでしょうか?

「松江」という地名は、

堀尾吉晴が付けたもの。

「松」には浜松の「松」の

意味も込められていて、

堀尾さんは浜松の事が、

大好きだったのかも知れません(笑)

発掘は鋭意継続中。

こちらは浜松で生まれた

二代将軍、徳川秀忠公の甲冑。

ここから最上階の展望所へ。

天井には歴代城主の

家紋があしらわれています。

西側の眺望。

北側の眺望。

東側の眺望。

ここからだと、

天守門、富士見櫓、家康公銅像、

浜松出世パークの三つ葉葵が

しっかり確認できますね!

次に、南側へ・・・?

あ!写真撮るの忘れた~(汗)

最後は天守とともに

ツーショットにて〆。

 

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