駿府城・東御門と巽櫓(内観・後編)

 

恵まれたお城

全国に沢山ある城の

一つ一つには歴史があり、

オリジナルの物語があるはずですが、

観光資源にはあまりならず、

予算の優先順位もあり、

なかなか、詳しい案内や

出土品の展示は

出来ていないようです。

そんな中、

駿府城は、家康の城だったので、

恐らくそれなりに資料もあり、

研究や発掘費用にも

予算が付けられるのでしょう。

そういった意味で、駿府城は

お城自体も、来訪者にとっても

恵まれたお城なのかも知れませんね。

大御所家康の駿府城

いよいよクライマックス(笑)

ゾーン4では、秀吉が死に、

関ヶ原の勝利で、

天下人となった家康が、

江戸幕府を開き、

将軍職を秀忠に継承し、

大御所となってから、

思う存分に建てた

慶長期の駿府城の全容が

紹介されています。

今までで最大の城域ですね。

(金色の部分)

まずは、鯱(シャチホコ)。

鯱の説明。

「国内の青銅製鯱の中で

最古の部類に入り、

家康在城時から東御門に

使用されていたと考えられます。

(中略)

家康は金箔瓦を用いた織豊系城郭からの

脱却を狙っていたのかも知れません。」

このように書かれています。

やはり最後の一文、

「秀吉色の一掃」という

意味合いは大いにあったと思います。

大きさの比較。

関ヶ原の戦い後は、

築城ラッシュで、

現存するお城の多くは、

この時作られています。

豊臣秀吉の息がかかった(であろう)

天正期の駿府城を完全に埋め立てて、

新たな駿府城を作ったのがわかります。

秀吉の痕跡を無くしたいという

家康さんの気持ち、

ちょっと共感出来るかな(笑)

普請=土木工事、

作事=建築工事、

分かりやすい解説ですね。

Wikipediaによれば、

ここに書かれた作事役の一人、

備中松山城主だった小堀政一は

駿府城修築の功績で、

従五位下 遠江守に叙任され、

よく聞く、「小堀遠州」と

呼ばれるようになったと

書かれています。

絵をふんだんに使った解説は

見るのが楽(笑)ですね。

そして、

パネルの前に置かれているミニチュアは、

長崎県南島原市の、

有馬キリシタン遺産記念館で見た

原城の攻防戦のものと

同じような作りです。

今の時代、最新の展示方法は、

「ミニチュア」なのかも知れません。

この中で面白いものを発見。

細川家が駿府城普請時に、

家臣へ出したお触れです。

現代語訳は、

「駿府城の普請中は、

宴会やもてなしは禁止する。

また、皆で弁当を持ち寄り

一緒に食べるのは構わない。

飲酒は小さい盃で三盃までとする。」

弁当の食べ方までもが書かれていて、

なかなか細やかですね(笑)

天守台は江戸城よりも大きいもの。

天守台の模型。

天下泰平の世の駿府城

次はゾーン5、

平和な時代の駿府城です。

実質的に機能する領域は、

かなり小さくなっています。

やはりここは聖地なんですね。

安政地震では多くの建物が倒壊、

しかし、

幕府の権威も落ちていたので、

本丸御殿、東御門なども

再建されず。

幕府の終焉が見えて来ます・・・。

本丸御殿の縮小。

駿府城の存在意義の変遷が

実によく分かるパネルです。

ここから外に目をやると、

櫓門が見えます。

鉄砲隊の一員として、

妻も攻撃に参加!

展示物ばかりで退屈だった?妻も

この時ばかりは躍動していますね(笑)

桝形虎口を分かりやすく

案内しているのが素晴らしい!

戊辰戦争時、駿府城は

東征軍(明治政府側)の拠点となり

追われる身の徳川慶喜に代わり

徳川家を継いだ徳川家達が、

駿府城に入っています。

知らなかった事ばかりで、

面白いですね。

廃城とその後

ゾーン5で東御門とはお別れ、

次なるゾーン6からは、

巽櫓の一階となります。

渡り廊下で巽櫓へ。

櫓の内部は外観から想像するより

ずっと広くて立派です。

駿府城二ノ丸と本丸は、

は陸軍34連隊の駐屯地に。

ここで注目は、

左上の橘中佐です。

日露戦争で34連隊の

大隊長として活躍し、

戦死後、軍神として崇敬され、

橘中佐の地元長崎県雲仙市には

橘神社も創設され、

僕はその前を何度も通っていますが、

参拝は、まだですが(汗)

駿府城との関係を知ったからには、

やはり参拝しないといけませんね(笑)

これからの駿府城

遂にゾーン7まで来ました。

発掘調査は令和4年まで続きます。

最後はこれで〆。

素晴らしいぞ駿府城!

竹千代手習いの間

ゾーン7でおしまいかと思ったら

まだ巽櫓の2階がありました。

パンフレットには、

書かれていませんでしたが、

ここには、フィナーレを飾る

素晴らしいものがあったのです!

二階へ。

広い畳の部屋。

この右側を見ると・・・

ありました!

復元された「竹千代手習いの間」。

案内によれば、

8歳~19歳まで、

徳川家康が今川の人質として

駿府に滞在していた時の勉強部屋で、

今川家軍師の臨済寺住職、

雪斎和尚から学問を学んだそうで、

特別に臨済寺から許可をもらい、

ここに原寸大の「手習いの間」を

再現していると書かれています。

人質とはいえ、

立派な教育をしたのでしょう。

家康が天下をとれたのも

雪斎和尚あっての事かも知れません。

天井絵は龍。

いや~最後まで全く気を抜けない、

東御門、巽櫓でした。

今日の注目

ここで見つけたのがこんな案内です。

2023年春といえば、

松本潤主演、

大河ドラマ「どうする家康」が始まるころ。

絶妙なタイミングで、

凄いものが出来るんですんね!

やはり2年後、また来るかな(笑)

 

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